2012年6月9日土曜日

帰天司祭名簿


帰天司祭名簿

札幌教区関係帰天司祭名簿



最終任地 名前 帰天年月日
旭川大町教会 浅 井 晴 夫 昭和53年 7月 8日
本別教会 ミオン・ステフアノ 昭和53年10月 9日
雪の聖母 木内  藤三郎 昭和53年12月16日
北見教会 スタニスラオ・ムルダー 昭和56年 8月 4日
円山教会 大 谷   勇 昭和57年 3月30日
千歳教会 高 橋 幸 男 昭和57年 9月 2日
利尻教会 武 宮 雷 吾 昭和58年 8月 4日
前教区長 瀬 野   勇 昭和58年 9月30日
池田教会 ボナウエントウラ・トヌッティ 昭和59年2月13日
富良野教会 ケルネル・ルドルス 昭和60年 4月14日
トラピスト大院長 満 野 清 水 昭和61年 5月13日
長沼教会 大 友 良 夫 昭和62年10月27日
札幌教区長 冨 沢 孝 彦 平成 元年 3月26日
倶知安教会 佐々木 羊 三 平成 3年 2月 9日
滝 川 カトリック教会 山野井 克 栄 平成 4年
桃 山 カトリック教会 ヨゼフ・ラッキ− 平成 5年10月25日
ベネディクトハウス 長 坂 親 秀 平成 6年11月 5日
北 見 地 区 太 田 哲 也 平成 7年 8月 8日
天 使 病 院 中 川   寿 平成 8年11月18日
釧路新川教会 Mattuzzi Gianncrisostomo 平成 9年 3月18日
本別教会 竹本 茂 平成 9年 4月 2日
円山教会 林  忠 実 1998年9月1日
釧路地区 ブレッサン・ダミアノ 1998年11月28日
札幌地区 中川宏 1999年1月19日
旭川地区 メーランド・ヤヌワリオ 1999年1月20日
札幌地区 片山久史 1999年6月5日
札幌地区 浅井正三 1999年12月16日
マリンガ教区(ブラジル) 田中 亮 2001年3月18日
旭川地区 MUELLER RUPERT 2001年5月2日
新田教会 林信夫 2001年6月13日
札幌フランシスコ修道院 鈴木宗太郎 2002年12月5日
真駒内教会 今田共栄 2003年3月13日
トラピスト修道院 高木正義 2004年1月31日
江別教会、司教館秘書 石上昭夫 2004年2月3日
フランシスコ会ベネチア管区 ステファノ・チビディニ 2005年9月7日
網走・美幌教会 場ア 柔晨 2005年9月11日
円山教会 橋本 力 2005年9月28日
月寒教会 澤田 茂 2006年7月20日
真駒内教会 浅沼 正三 2007年4月22日
イタリア・パドア エルメテ・ミカエル・ヴィアーレ  2008年1月29日 
メリノール会本部 ジェームス・ゴルマン 2008年2月3日 
大麻教会  近野 亘  2008年7月5日 
北1条、北26条協力 井戸井 栄  2008年7月11日
メリノール会本部 ジェラード・L・ボーソレイ  2008年8月8日
メリノール会本部  ジェームス・W・オニール  2010年1月29日 
ドイツ・フルダ  テオドール・H・シーベル  2010年5月8日 


フランシスコ会士で、長年、旭川地区(富良野、稚内、旭川六条、名寄等)で宣教司牧にあたっておられたテオドール・シーベル神父が、目の治療のために戻っておられたドイツのフルダで2010年5月8日帰天なさいました。皆様の生前のご厚情に感謝いたします。神父様の神様のみもとでの安息をお祈りください。

2012年6月4日月曜日

痛みの文化人類学:anthropological Understanding For Human Pain


痛みの文化人類学:anthropological understanding for human pain

かならず読んでください

痛みの文化人類学

池田光穂

  1. 痛みとその解釈の歴史
  2. 痛みを取り去ること
  3. 痛み経験の民族差
  4. 試練としての痛み
  5. 痛みの文化的意味
  6. 献辞[一部でも読んでくれた方に]
  7. 文献

    痛みの文化人類学的研究にたずさわるものは、ヴィトゲンシュタインの次のような言葉をつねに思い浮かべざるを得ない

    「痛みという言語表現は泣き声にとって代わっているのであって、それを記述しているのではない」。

    自戒を込めて言うのだが、痛みの文化について考察する際には、"その儀礼には痛みが伴い、若者にとって試練を科す"とか、"彼女は当時の経験を思い起こして、心に痛みを感じた"──最近では"癒し"という怪しげな用語──などという表現をする同業者には用心して耳を傾けるべきだ。なぜなら他者の痛みを共感することはできるが、他者の痛みそのものを感じることが我々にはできないからだ。より慎重に言えば、文化人類学にとっては他者の痛みを<共感する>ということ自体すら延々と記述するに値する重要なことがらなのである。


 痛みとその解釈の歴史


    他者の痛みを同じように感じることができないことを私たちは知っている。過去人びとの痛みを感じることも不可能であることは言うまでもない。

    痛みと人類の歴史について言及する際も、同じ事情で「痛みをどのように感じたか」ではなくて、「痛みをどう理解したか」あるいは「痛みにどのように対処したか」について書物の多くのページがさかれている。現状においては、"痛みの歴史"とは"痛みの古典理論"について振り返ることであり、時には"鎮痛や麻酔の歴史"を意味することもあるだろう。

    17世紀にデカルトが、痛みを全体的な体験から切り離して別個に考察するような理論を打ち立てるまでは、痛みは人間の全体性とともにあった。痛みは長いあいだ人間の全体の感情を形成するなにものかとされていたのである。

    古代ギリシャでは、痛みは人間の情念(パテーマータ)のひとつとして考えられた。プラトンによると、神々は魂に対して死すべき肉体を与えたが、その際に別種の「死すべき魂」を形づくった。これは「恐るべきそして避けることのできない情念を」備えていた。苦痛は、快楽・大胆・恐怖・欲望・希望とならんでこの情念の一種をなしている。アリストテレスでは、情念は魂の基本的な要素であり、快楽や苦痛をともなう。彼は、痛みを『霊魂論』にあげた視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五つの感覚よりもむしろ、生理的な反応によってひきおこされる不快や苦しみである情緒としてとらえる。『動物部分論』のアリストテレスによれば感覚の起源は心臓にある。知覚の波が血管に沿って心臓に伝わるが、それが激しいとき痛� ��という情緒が生じると説明する。このような見解は中世のキリスト教神学においてもさほど変化しなかったとみてよい。

    デカルトは、痛みとそれに反応する人体の《反射》の概念を説明し、今日の生物医学的な痛み理解の基礎を作った。彼が『人間論』の中で解説した著名な図式は次のようなものである。足元に火を感じてそれを避けようとする作用は、まず炎の"微粒子"が足の皮膚に動きを生じさせ、それが脊髄にそった敏感な紐を引張り、脳室の手前の"ベル"が鳴る。これが、脳室の壁を開くことになり、"動物精気"が管状の神経に流れ込み、足を引くという反射がみられる。動物精気はまた脳室から松果体に入り意識を引き起こすという。なぜなら、彼によると松果体は人間にとっての"意識の座"であるからだ。またデカルトは、痛みは情動の一種であり、人間以外の動物には精神がないので、痛みを感じることはないとまで述べている。他� ��、スピノザは、情緒としての痛みをとらえ、悲嘆と憂鬱を痛みがもつある種の特性としてとらえている。したがって痛みを全体論的な情緒としてとらえるアリストテレス的伝統はデカルトよりもスピノザのほうに生き残ったかのようである。

2012年6月2日土曜日

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2012年6月1日金曜日

English Teacher Going On Ultimate Field Trip, To Iran (Creeping Sharia) « Education News & APP


via Teachers going on ultimate field trip | Cincinnati.com | cincinnati.com. Ten local teachers will embark this summer on the adventures of their lives in exotic locations around the world – all in the name of education. The Cincinnati Public Schools teachers won travel grants from the Fund for Teachers, a Houston-based, donor-supported group that [...

2012年5月19日土曜日

ハロウィン - Wikipedia


ハロウィン、あるいはハロウィーンHalloween, Hallowe'en)は、ヨーロッパを起源とする民族行事で、毎年10月31日の晩に行われる。ケルト人の行う収穫感謝祭が、他民族の間にも行事として浸透していったものとされている。由来と歴史的経緯からアングロ・サクソン系諸国で盛大に行われる。

ケルト人は、自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗していった。カトリックでは11月1日を諸聖人の日(万聖節)としているが、この行事はその前晩にあたることから、後に諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)、Hallowseveが訛って、Halloweenと呼ばれるようになった。そもそもキリスト教の教えと、魑魅魍魎が跋扈するハロウィンの世界は相容れるものではなく、聖と俗との習合がハロウィンという名称のみに痕跡を残している。

ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。601年にローマ教皇・グレゴリウス1世が宣教師にケルト人へキリスト教改宗の策として、「ケルト人の信仰法である木の伐採は行わずに、木の真上にはキリストの神様がいてそのために木を信仰し続けなさいと広めなさい」と言ったのが今のハロウィンになったきっかけでもある[要出典]

これに因み、31日の夜、カボチャ(本来はカブ。スコットランドではカブの一種の「スィード (swede) 」を用いる[1]。)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン (Jack-o'-lantern) 」を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(Trick or treat. ご馳走をくれないと悪戯するよ)」と唱える。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよい。

現代では主にアイルランド、イギリス、アメリカ、カナダ、プエルトリコ、ニュージーランド、シーランド、そしてオーストラリアの一部に広まっている。これらの国ではハロウィンが盛大に開かれるが、プロテスタント信徒が多いせいもあって、その翌日にあたる諸聖人の日には通常、これといった行事は催されない。宗教改革以降、プロテスタント諸国ではカトリック教会の祭日である諸聖人の日が徐々に廃れたため、ハロウィンのみが残された格好になっている。

アメリカの一部の学校では、ハロウィンがキリスト教由来の行事ではないことから、「ハロウィンを行わないように」という通達が出されることがある[2]

2012年5月17日木曜日

4章 1節 (2)世界の様々なくらし


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世界は広くて、いろんな食べ物や遊びがあります。みんな違うように見えるけれども、よく見てみると・・・日本と同じ?日本と違う?

このほかにも日本と似ている外国の習慣やものを探してみましょう。

お米の食べ方

タイとフィリピンの写真は、『国際協力』誌2001年3月号より


子どもの遊び方

※子どもの遊び方の写真4点および解説はすべて(特活)開発教育協会提供


世界の風景

広大な自然、伝統的な街並み、高層ビル街など、私たちは世界のそれぞれの場所で、同じ時間を過ごしているのです。


世界の生活

日常生活の様子が、国によってどのように違うのでしょうか。
気がついたことを発表してみましょう。