2012年5月8日火曜日

BBSログ 2007/12/28 (Fri) 10:22:17-007/12/03


面白いBBS - 寺田祐一牧師

2007/12/28 (Fri) 09:45:16

 仕事も今日までという方も多いのでしょうか。
 近くにある大きな卸売市場も今日までだそうです。
 勿論、それどころではない方もいらっしゃるでしょう(私もそうですが)。
 しかしもう今年も終わりですね。

 このBBSも、今年の2月末から始まったのですから、もう9ヶ月になりました。
 最近は、書き込んでくださる方々が限られて少ないのですが、ヒット数は毎日7、80件はあるようです。
 確か、19730回ぐらいまで行ったのですが、fc2サーバーの障害で、16950回の時点まで戻ってしまいました(その間の書き込みは失われたそうです)。今の時点で、それからでもすでに17780回となっていますから、すでに830回ほどヒットされています。
 加算すると、20560回ぐらいになっていますが(f c2サーバーからカウンター訂正ソフトが届いたら変えます)、よくご覧いただき、投稿していただいたと感謝しています。
 元々教会のサイトですから、そんなにご覧いただけるとは考えてはいませんでしたので、むしろ驚いていたのですが、一時、色々とご協力くださる方々によってかなり賑わったのですが、今は落ち着いて、始める前に私がイメージしていたようなかたちになっています。
 様々なご批判をも含めて(大変勉強にもなりました)、日本のキリスト教会サイトとしては本当によくご覧いただいているほうしょうか。その分責任も大きい‥‥  。
 今も試行錯誤を重ねながらですが、始めた以上、お応えしていこうとがんばっているところです。

 始める前に、これだけはなんとか守ろうと決めていたこ� ��は、見てくださる人がいようといまいと、とにかく続けて行くこと、そのためには毎日何かを書き続けるということでした。
 勿論何でも書けばいいというものではなく、中身が問題しょうが、それでも書き続けること、こうした働きには重要だと考えていたからです。
 しかし、東江さんなどにも助けられてですが、毎日書くというのは、覚悟はしていましたが本当に大変ですね。自分の正体、本性がさらけ出されてしまいます。いつも読みかして恥ずかしい思いをしています。
 ただ、初めから正直に、なるべく本音で書いていこうと考えていましたので、その点で攻撃を受けることもあるのですが、それはそれでいいかなと思っています。
 今日も、何を書こうかと考えながら、ついこんなことを書いてしまいました 。

 しかし、いつも忘れてはいないのは、何とかして神様の恵みをお伝えしたいと言うことです。
 今日の聖書箇所は、詩篇42篇でしたが、有名な詩篇です。

「42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」

 現代に限らず、いつの時代も、人は生きている限り、何かに飢え渇いているようです。美しくも切実な表現ですが、鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、でしょうか。
 この、霊の渇きをうるおしてくださるおかたこそ、イエス様ですが、このサイトを通して(ひとつの方法に過ぎませんが)、お伝え出来ればということです。
 クリスチャンのかたは、ぜひあかしやご意見などをお寄せください。
 今後も何とかがんばって続けていくつもりですので、応援、よろしくお願いします。

子ども会準備 - 東江公人

2007/12/27 (Thu) 17:33:02

いつもの子ども会メンバー2名の女の子 ナギサ と メイ。

今は冬休みに入ったので毎日来るらしい。
今日も来て、土曜日の準備を彼らなりにしていった。
放っておくと子ども会の方向がおかしくなりそうなので明日は何をして欲しいかこちらが準備しておく必要が出てきた。

『年末はゆっくりしよう』と勝手に考えていたが、どうもそうはさせてもらえそうにもない。

明日は説教の準備と土曜子ども会の準備をするこども達のための準備をすることになりそうだ。

師走とはよく言ったものだ。もちろんこういう忙しさはうれしいのだけれど…

主の熱心 - 寺田祐一牧師

2007/12/27 (Thu) 19:05:24

 子どもは、勿論面白いから来るのですが、単に楽しかったり、ものがもらえたりするから来るのでもないようです。それなら、日本の教会だって子どもで溢れているでしょう。
 また、そんな風に集まってみても、ご指摘のとおり、そこに確かなポリシーがなければ、やがて胡散霧消(うさんむしょう)してしまうでしょう。
 きっと、子どもたちを惹きつける何かが、名護の教会には、いや、東江さんご夫妻のお働きにはあるのでしょうね。それは、ひとり一人をきちんと見定め、適切に対応して行くというきめの細かさ、そして熱い思い、何よりも、深い愛を子どもたちが感じているからなのでしょう。
 ご夫妻の手作りなのですね。
 やがてその熱心さが、神様からのものであることを知り、その熱心さ� �ご愛が、子どもたちへも伝わって行くことでしょう。本当によい働きです。

 そんな賜物を、神様が黙っておくはずはありませんから、これからますます忙しくなりそうですね!
 おからだを大切に‥‥ 

 教えられました。
 私も頑張って見ようと思います。

もう来年‥‥  - マルタ

2007/12/27 (Thu) 14:09:04

 寺田牧師先生、東江牧師先生、こんにちは。
 マルタです。
心待ちにしていたクリスマスも過ぎて、今年も残り数日になりました。
 私、マルタは1年が過ぎて行くのが毎年、早いなと感じています。
 『あれっ!まだ、新年のご挨拶をしたばかりじゃ…。』と言う感じです。
 光陰矢の如し…。(言葉の使い方あっているでしょうか?。)今年も、皆、色々な所を通って来たと思いますが、私、マルタも色々な体験・経験をし、思いを持ちました。
 ここ数年、様々な思いが嵐や大波の様に押し寄せてきて、飛ばされたり、流されたりですが、(勝手にそうしているだけかも)そこから色々気付かされ、神様からも沢山教えて頂きました。
 マルタ、来年も(は)立っているべき所に立ちたいと願� �ます。
 今年、途中からこのBBSの部屋に入れさせて頂きましたが、ここでもまた、色々な考え方や言葉を教わりました。マルタ、ただびっくり!するばかりです。寺田牧師先生、東江牧師先生の文中の一言一言に心に響く、はっ!とさせられるものが沢山ありました。
 ずっと以前の出来事の様子や、教会学校の様子も文字が映像となって見えて来る書き方に、マルタもこんな風に書けたらと強く思わされた次第です。それには、もっと見聞を広めないと…ですね?。
 それ以前に神様に私の全てが向いていなければ…かな?。
 来年も寺田牧師先生、東江牧師先生もお忙しい日々が続くと思いますが、神様が何時も共にいて下さり、力づけて下さいますようにとお祈りしております。
 来年もどうぞ宜しくお願い致し� �す。

立派な文章  - 寺田祐一牧師

2007/12/27 (Thu) 18:49:26

 マルタさんの文章と知識はとても立派です。
 その書き込みにはいつも励まされております。
 勿論、勉強や知識、見聞には広げすぎることはありませんから、ぜひかなってください!
 きっと、ますます文章にも磨きがかかることでしょう・
 来年が楽しみです!

 東江さんの文章はとても立派ですが、私はまだまだで、このサイトで今一生懸命練習中といったところです。
 おかしなところがあったら、どんどんご指摘ください。
 よろしくお願いします。

明日を守りイエス様 - Grace

2007/12/27 (Thu) 08:22:11

 明日を守りイエス様。
 素敵ですね。
 先生方、いつもありがとうございます。
 なんだか、私への返信をしてくださり涙が出るほど嬉しく思います。
 クリスマスが良い思い出で子供たちに残ることはいいことですね。

 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」

 これは、私が毛嫌いした言葉でした。
 救われる前、父に、私は救われている。と激怒したことを今涙を流しながら思い出します。
 私はかえられました。
 イエス様を信じることはすばらしいですね。

時にかなって美しい - 寺田祐一牧師

2007/12/27 (Thu) 18:44:16

時にかなって美しい NEW / 寺田祐一牧師 引用
 ええ、喜んでくださるなら、たくさん返信しましょう!

 聖書のみことばって、とても不思議で、私たちの勝手や思い通りにはなりません。
 ある時には大きな慰めや励ましになりますが、強い反発や怒りすら覚えさせることもあります。
 しかしそれは、単に私たちの受け止め方であって、聖書のみことばの価値とは違うようです。
 ダイヤモンドは、誰がどう鑑定しようと、誰が持とうと、そのダイヤモンドの価値はなんの関係もないのと同じです。
 でもそれは普遍的ですから、いつかは必ず、その驚くべき価値に気付かされる時があるのです。

 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」

 このみことばは、どれほど多くの人々に攻撃され、またその通りの みわざを現して来たことでしょうか。
 本物の価値が分かるためには、随分と時間がかかるものです。
 その間、よくできた偽物にごまかされることが多くあるでしょう。
 私もずいぶん惑わされたものですが(今も油断するとすぐにそうなります。危ない危ない)、しかし、その度にみことばの深さと確かさに触れる機会としていただいています。
  
 まさしく「神のなさることは、時にかなって美しい」ことに気付かされるのです。
 よかったですね!

振り返りつつ前を見る - 寺田祐一牧師

2007/12/27 (Thu) 08:13:11

 今年はまだ終わっていませんが、クリスマスの余韻もあまり残っていないような、お正月が待ち遠しいといったこともなく、ただ毎日があわただしく過ぎて行くといった感じです(私もそうですが、むしろ世相が‥‥ )。
 来年というより、もう来週どうするかが気になります。本当に忙しい時代なのだと思います。
 ぐずぐずしていなくても、簡単に取り残されてしまいます。
 その流れに乗っていくかどうかは、自分の人生ですから、人にとやかく言われる筋合いはなく、自分で選択すればよいのですが、その選択基準をどこに置くのかは、もう一度確認しておくことは無駄ではないかも知れません。365日、切れ目や節目、一段落を許さず先へ先へと駆り立てられる現代、暮れの何日か、新年の初めぐら� ��は、少し立ち止まって思いを巡らせて見るのもいいでしょう。貧乏暇なしや自転車操業とはまったく質の違う忙しさです。
 その中で生きているので分かりにくいのですが、分かってはいても逃れるのは難しいのです。
 まるでネズミの大行進で、よく見える目は、空気が読めない結果にもなりそうです。
 勿論、クリスチャンであろうと例外ではありませんが、教会は例外であるべきかも知れません。

 旧約聖書によると、ノアは40年もかけて巨大な船を造りました。
 箱船と言われているものです。社会的に考えるなら、まったく無駄なものでした。
 結局、大洪水が訪れ、この箱船に乗ったノアの家族と地上の生き物は助かるのですが、その箱船を造り続けている40年間は、人々の嘲笑の的であり、空気 の読めない愚か者家族そのものでした。
 その間、ノアはどうだったのか分かりませんが、少なくとも家族は、「お父さん、人がなんて言っているか知っていますか。もう止めましょうよ」と、色々悩んだのではと推測します。本当に難しいところです。
 2000年の間、ご存じのように、教会は様々な状況に置かれて来ました。時代をリードし、人々が、こぞってつめかけるということばかりではなかったわけです。
 現在でも、教会が焼き払われたり、壊されたりする地域もあります。
 日本でも、直接そのような攻撃はありませんが(キリシタン禁制時代は具体的でした)、目に見えない圧力は相当なもので、教会がなかなか繁栄しない姿を見て、こうあるべき、あああるべきという攻撃もまた、教会内外からも後� �絶ちません。
 そんな中、どうして行くべきか、悩まないリーダーはいません。うまく出来る牧師も、なかなかうまくいかない牧師もいるでしょう(リーダーは必ずしも牧師だけとは限りませんが)。
 しかし、それにもかかわらず、いつの時代、地域においても、流れとは関係なく教会はあったのです(惑わされたことも度々でしたが)。
 それをどう守り表現していくのか、ゆっくり振りかえて見る時は必要ですね。
 東江さんの教会学校の話題は、その意味においてもタイムリーです。
 年末年始は、いつの時代においても、そうした機会としてはふさわしいと思うのですが、いかがでしょうか。
 少なくとも聖書はそう言っているのですが、イエス様が私に、いや教会に願っておられることはなんだろうかと ‥‥  。

 教会も、勿論時代の流れからは自由ではありません。
 しかし、それに支配されているわけではありません。いや、されたはいけない‥‥ 
 むしろ、滔々と流れる人の歴史の傍らにあって、それに惑わされず、じっと見続けて行く役割があります。カトリックとは(ローマ・カトリックではない)、パーマネント、まさしくそうした普遍を意味する名称だったのです。
 少なくとも、時代に適応出来ない、空気がよく読めない私にとっては、唯一身を避けることの出来る場所あり、そこで生きて行くことの出来るところです。でなければ、どこへ行けばよいのでしょう。
 それを子どもたちに伝へ、悩んでいる方々の避けどころであることは確かです。

  41:1 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。

 今朝の詩篇の1節でした。

キャロリング - エキストラ

2007/12/24 (Mon) 11:44:54

教会ではクリスマス本番真っ只中・・・ですね!

キャロリング・・・以前、自分も参加した事があります。冬の野外ライヴは寒いですが、観客が足を止めて人だかりが出来ると、結構いい気分になって盛り上がりますよね。
独りで楽器を抱えての路上ライヴの勇気はありませんが、仲間と街角で・・・これは予想以上に熱くなりました。

柄にもなく一瞬懐かしい想いに耽ってしまった・・・

Re: キャロリング - 寺田祐一牧師

2007/12/25 (Tue) 16:44:47

 昨日、教会のクリスマスのプログラムはすべて終えて、今日は少し静かなクリスマスを過ごしています。
 今、今年最後の、絵の時間が終わったところです。

 エキストラさんも、ただのエキストラではなく、教会へいらしていたんですね。
 昨日はどちらかにいらっしゃいましたか。
 またぜひ、キャロリングをなさってみてください。
 
 よいクリスマスを‥‥ 。

Re: キャロリング - エキストラ

2007/12/26 (Wed) 10:55:40

懐かしいと言えば、学生時代にあまり意味も考えずに仲間に誘われて、クリスマスに教会へ。
ただし、楽器を抱えてあちこちキャロリング・・・学生だからギャラも掛からない、美味しい手作りケーキを頂戴して結構満足してました。

未だに、放浪の音鳴らしをしてるのは、そこが起源なのかな・・・。

所で、先日遂にそちらの友人に「エキストラ」がバレてしまい・・・久しぶりの電話で「エキストラさんのお宅でしょうか?」・・・一瞬沈黙!・・・続いて爆笑!

素性がバレルと何だか照れくさい・・・書き込み辛いと思う折も折に、年明けから関西方面での仕事が決まり、長期遠征する事になりました。
冷やかし半分に首を突っ込み、お邪魔しました。
・・・というか、牧師さんたちを冷やかし� ��・・・天罰降らないか・・・不安を抱きつつ・・・旅支度。

牧師さん、皆さん、よい年をお迎えください!

おあいこ様 - 寺田祐一牧師

2007/12/27 (Thu) 07:54:04

 ああ、さすらいのイカス寅さんですね。
 
 これほど背景と個性がむんむんしていれば、ご存じの方なら分からないほうがおかしいでしょう。
 勿論、私はまったく分かりませんが、この年になってはもう無理ですが、私の理想とする生き方ですよ。
 多分、本当は宣教師のほうが向いているのかも知れません。

 ところで、エキストラさんがなさるという演奏は何ですか?
 くち三味線?(ああ、大変失礼しました)

 私もまた十分楽しませていただきましたので、おあいこ様ですよ。

 よいお年を。

日本の伝道 - 寺田祐一牧師

2007/12/26 (Wed) 08:19:43

 お早うございます。

 今日もあたり一面の霜が降りて、大分寒い冬の朝となりました。
 冬ですね!

 東江さんの教会学校のお話は大変興味深いものです。
 今、日本の教会で、この教会学校に困っていない教会はないでしょう。
 何でも例外はあるでしょうが、残念ながら、教会学校が縮小されたり閉鎖されてしうところも多いのです。
 そんな中、東江さんの働きは貴重です。
 私たちの教会も、それなりに頑張っていると思うのですが、なかなか思うようには子どもたちも来てはくれません。
 勿論、理由も様々でしょうが、東江さんの言うとおり、ちらしや看板などでは、子どもたちは来ません。
 仮に来たとしても、親からすぐにストップがかかってしまい(今の時代、この気持 ちも分からないではありません)、子どもひとりでは来られません。親が連れてくれば別ですが、日曜日にわざわざそうする親はいないようです。
 また、新しい子どもが来ても、別に意地悪しているわけでもないのに、最初のうちはどうしてもその中に入りにくいものです。勿論大人が色々と配慮をするのですが、その大人、或いは先生がいなくなると難しいのです。
クリスチャン・ホームの子どもたちでさえ馴染むのには相当時間がかかるものです。
 新しい子どもが来て、教会に定着するには、そこにどうしても親しく出来る友だちが不可欠です。
 つまり、今来ている子どもたちが友だちを連れてきて、すぐに一緒に教会で遊べないと難しいようです。
 これは多分大人も同じで、日本における伝道の基本なのだ と、私は思っています。
 大人にしろ子どもにしろ、キリスト教用語で言えば、「個人伝道」といったところでしょう。
  
 子どもの場合、もう一つの点は、すでにクリスチャンである親に連れられて来るのが一番多いのですが、親がなかなか子どもを連れて来られない、信仰を伝えられないという点もあるようです。
 日本では、切支丹禁制が解かれてすでに150年にもなるのですが、未だに一代目のクリスチャンの方々がほとんどなのです。せっかくの信仰が、残念ながら継承されず、ご自分一代で終わってしまうのですね。
 日本のクリスチャンはだらしがないと、ひと言で片付けてしまうことは簡単ですが、これにも様々な背景があって、一概には言えず、時間のかかることだと思っています。
 ただ、� ��書のみことば「主イエスを信じなさい。そうすればあなたとあなたの家族が救われます」とあるとおり、信仰は家族単位のものであり、親が子どもに伝えて行くべきものですから、如何に難しくても、これを忘れないでいることが、日本では大事です。
 つい、難しさから「子どもには子どもの考え、人生があるのだから」と、いいわけをしてしまうことも多いからです。現実を見て、無理は出来ないと、今は私も分かりますが、こころの痛みをなくしてはいけません。

 また、クリスチャン・ホームで、子どもたちを教会へ連れて来るとき、親通しの関係が非常に大事になって来ます。親通しの関係が悪いと、子ども通しの関係も、子どもたちの意志に関係なく悪くなります。日本の教会は人数が少ないので、ほんのちょっと� �たことが、実に大きな影響力を持ってしまいます。
 「互いに愛し合いなさい」というヨハネのことばは、実に意味深いものだと、足りない牧師としては、しみじみ思わされているところです。

 基本的に、日本では、子どもが子どもを、そして大人も自分の知り合いを、「個人伝道」によって連れて来る以外に方法はないと考えています。
 大きな、派手な、特別な方法、集会は、否定するのではありませんが、残念ながら効果はなかったのです。

 東江さんのおっしゃる通りだと思います。
 来年は、もう一度腰を据えて、この問題に取り組み、祈って行きたいと考えています。
 そのためにこそ、今私は、いいえ、日本の教会、そして教会学校もあるのでしょう。

Re: 日本の伝道 - 東江公人

2007/12/26 (Wed) 14:12:31

こども達は時間の観念がまだ確立していないので時間通りには来ません。子ども会に来て良かった場合、そのことが他のこどもに伝えられて後で来る場合も多くあります。
 と言うことで1回の集会で、完結というやり方は我が教会では、まだできそうにもありません。
基本は、聖書の紙芝居を聞くとお菓子のプレゼントがもらえる。という基本的なルールを守れば、ある程度は大目に見ることにしています。

 今回のゲームは間違い探しゲームをしました。2枚の絵の間違いを探すゲームです。かなり難しく作りましたが、人に教えてもらわないでひとりでやると言うルールにしました。もちろんやめれば賞品はありません。そのため賞品はたいしたものではない物にしています。
ゲームは、大変な方が達成感 があって面白いのです。
今のところ断念した子はいません。むろん小さすぎてできない子はやらせませんが…小学1年の子もやり遂げました。子どもの能力は侮れません。
賞品はゼリー1個とたいしたものではありません。

 子ども会の基本は、自分の意志で選ぶと言うことを強調しています。子どもであっても自分で選ぶと言うことはとても大切なことだと思っているからです。昨日、『紙芝居は聞きたくないから帰る』という子がいました。
 その男の子が今日またやって来て紙芝居を聞いて帰ってゆきました。もちろんプレゼントを獲得して…

 ちょっと大げさに言えば教会の訓練。基本的な決めごとは子どもだからといい加減にしないでおこうと思っています。

心映え - 寺田祐一牧師

2007/12/26 (Wed) 22:20:16

 きちんとした観察とポリシー、実に見上げた心映えです!
 本当に名護ではがんばってこられたのですね!
 きっと、その働きは無駄に終わることはないでしょう。

 不思議は教会の専売特許ですが、無から有を生み出してくださる神様は、必ずお応えくださいます。
 ビジネスから見れば、先の見込みのない日本のキリスト教会ですが、原資は、この不思議な神様です。
 なんだか、来年もがんばりたくなりました。

 ところで、「ちょっと大げさに言えば教会の訓練。基本的な決めごとは子どもだからといい加減にしないでおこうと思っています」は、むしろ大人のクリスチャンにこそ必要かも知れません、 かな。

Re: 日本の伝道 - 東江公人

2007/12/26 (Wed) 22:24:48

一番難しいのが、大人なのかもしれません。
自分なりの生き方が確立してしまっていますから。
聖書の言葉で自分自身を変えてゆくことが最も大変な事業のように思います。

こどもクリスマス - 東江公人

2007/12/25 (Tue) 17:44:03

25日にこどもクリスマスをしました。
会は単純。ゲームをして紙芝居をしてプレゼントをあげてお仕舞い。

 ゲームは聖書の記事を絵にしたものの間違い探しゲームです。7つの間違いがあり、全部見つけたらゼーリー1個がもらえるというゲームです。
 商品はショボイものでしたが、ゲームとなるとこども達は俄然張り切ります。12名ほどのこどもが挑戦しましたが、全員やり通しました。かなり真剣でした。学校もいわゆるお勉強ではなくゲームのような勉強をすればいいのかなー?

 その後で、クリスマスの紙芝居を聞いた子達はお菓子の詰め合わせをもらって意気揚々と引き上げてゆきました。

 こども達の心の中に、教会の楽しいクリスマスの思い出が残るようにと願う一時でした。

こころに残るクリスマス - 寺田祐一牧師

2007/12/25 (Tue) 18:04:52

 なるほど、東江さんのところでは、イブ礼拝を行わず、25日に、子ども中心に行われるのですね。
 やはり目に浮かぶようです。
 昨夜盛り上がったのも、やっぱりyouthのメンバーが考えてくれたオリジナルクイズが中心だったのです。
 聖書に関すること、地元(吉川)に関すること、子ども、一般と、とても楽しく計画されていました。
 おみやげは、私たちの教会では毎年持ち寄りのプレゼント交換をしますので(500円ぐらいのもの)、もう少しよいかも知れませんが、これもまた子ども中心になりますね。
 
 名護における東江さんの、子どもたちを中心とした教会形成が伺えて勉強になります。
 きっと、子どもたちのこころに残るクリスマスだったでしょう。
 大切なことです� ��!

Re: こどもクリスマス - 東江公人

2007/12/25 (Tue) 18:35:12

今、名護の教会にとってこども達はとても大切な位置を占めています。
基本的にはこちらから宣伝は行っていません。ですからこども用のチラシはあまり作ったことはありません。看板はさすがに作らないとなーと思っているところです。こども掲示板と言う板を教会の玄関のピロティーニ置いてあってそれで連絡をしているぐらいです。

こども達が楽しい良いと思って友人を連れてくるようです。友達の輪と言ったところでしょうか。

まだまだ、試行錯誤の状況でどうなることやら…
 

Re: こどもクリスマス - 東江公人

2007/12/25 (Tue) 18:53:09

 こどもがこどもの友を連れてくる方法はなかなか有効ではないかと思っています。
 チラシなどで案内をする場合、お互い仲の悪い子達もやって来ます。そして子ども会の中で対立がはじまり雰囲気が悪くなり会が魅力を失ってきます。「お互いに愛し愛し合いなさい」と言う状況にはまだまだならないのですから、最初から友人が友人を連れて来るという方法はいいのじゃないかと思っているのです。

 他のこども達に来て貰いたいときは時間帯などをずらすようにしています。また小学生上級の子達は男の子と女の子は対立的な関係にありますので、別々に子ども会を持つように…などと色々気を遣ってはいるのです。

姉のともだち - Grace

2007/12/25 (Tue) 16:34:48

おはようございます。

今日はクリスマス。昨日は、すばらしい日を教会で過ごすことができました。
夜は少し、心が弾んでか、あまり眠れませんでした。
またその夜はこの御ことばに励まされました。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいますマタイ28」

話は変わり、今朝も、私の姉の友達にあいました。
 ひとつ上ですが、亡き姉を忍んで、この間、私は不在ですが、うちに線香をあげにきてました。
 その方は小さいときからピアノが上手な方で、電車の中で、家族の話などしていて、また昨日はどう過ごしたのかという話になりました。
 私は教会でという話になり、私は、「教会に好きなピアニストかいるけど、ぜひ来て下さって、弾いて下さい。」と伝� ��ましたら「必ず行くよ。約束ね。」と握手をかわしました。
 どうか、これを読まれた方、ともに祈ってください。
 良いときに彼女がきてくださいますように。
 お願いします。

本当に! - 寺田祐一牧師

2007/12/25 (Tue) 17:42:35

 本当にそうでしたね!
 私も少し興奮してあまりよく寝られませんでした。

 私は「 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。マタイ6:34 」というみことばを、改めて思い起こしていましたよ。
 

 明日は どんな日か 私は知らない
 晴れか 嵐か 曇りになるか
 だけど私は心配しない イエスが私と ともにいるから

 明日は 私には わからないけど 
 明日を守られる イエスがおられる

                            「あすを守られるイエス様」

 以前、うちの教会で歌ったゴスペルですが、不思議に思い出してしまいました。
 いにしえの聖徒たちは、きっとこんな思いで福音を携え、歩んで行ったのでしょうね。

 お姉さんのお友だち、きっと来てるでしょう。
 祈ります!

共に祈りましょう - マルタ

2007/12/25 (Tue) 17:48:13

 今日は。
 マルタです。

 Graceさんの書き込み読ませて頂きました。亡きお姉様のお友達と現在も関わりが続いているのは、良いですね。
 そのシーンを想像していたら、とても寒い今日も、暖かな気持ちになりました。神様を信じている者たちは、家族を初め、皆が神様と出会ってもらえたらと願いますよね。
 私、マルタも何時もお祈りの中に覚えておきたいと思います。

ぶたのしっぽ - 東江公人

2007/12/25 (Tue) 17:10:16

 小学校の4年生の頃。1ヶ月ぐらい入院をしなくてはなりませんでした。大事をとっての入院でしたので体はどこも痛くはなく、毎日退屈な日々でした。
 
 こどもはおらず大人ばかりでした。ある日2才ぐら年下の女の子が入院してきました。それで自然に二人で遊ぶようになりました。
たっぷりある時間を遊ぶことで紛らわせたといっていいかもしれません。
 その中で、たぶん彼女が考え出したのでしょう。「豚のしっぽ」と言う遊びがありました。 それは単純なゲームです。色々と一方が質問をするのですが、片方は「豚のしっぽ」と必ず答えなければならないゲームでした。
 例えば…
 「あなたの好きな物は?」 「豚のしっぽ。」
「へーそんなのが好きなんだ。」
「じゃあ、ポケ ットに入っている物は何?」 「豚のしっぽ」

と言った、たわいのないゲームでした。ずっと前のことなのですが不思議と覚えているのです。

 じつは、最近それを思い出しすことがありました。
私たちの教会では、クリスマス祝会の時にめいめいが、1品を持ち寄って愛餐会の時を持ちます。僕と家内は「おでん」を作るために買い物に出かけました。その時に豚のしっぽが売られていたのです。

 沖縄では、おでんには豚足(てびち)はよく入れます。でもさすがに豚のしっぽは珍しいのです。

それで少しおもしろ半分に豚のしっぽおでんを作ろうと僕が、提案をしたのです。

愛餐会の時、皆が豚のしっぽおでんを食べているのを見ながら、昔の豚のしっぽゲームを思い出しながら「にやり」としながら楽 しい食事会の時を持ったのでした。

 そう言えば、クリスチャンと言う呼び名もアンテオケと言う教会でいつもイエスさまのお弟子達が、「イエスさま、イエスさま」と言うので周りの人に「あの人達はキリストさんだ」と言われ、自分たちの方でもクリスチャンと言うようになったようです。

 豚のしっぽを思い出しながら、私たちもいつもイエス様と叫びつつ歩んでゆく者に…と思った時でした。

沖縄のおでん - 寺田祐一牧師

2007/12/25 (Tue) 17:24:32

 ふーん、豚のしっぽか‥‥ 。
 どんな味がするのでしょう。
 一度食べて見たい気もします。

 でも、何だか楽しそうな雰囲気が伝わって来る愛餐会風景です。
 沖縄でもおでんはあるんですか。
 中にはなにが入っているんだろう‥‥ 。
 ゴーヤとか‥‥ 。

 来年はやはり、ぜひ調査に行って見なければ‥‥ 、などと考えている食いしん坊の牧師でした。

ただよう恵みのかおり - 寺田祐一牧師

2007/12/25 (Tue) 08:05:07

 「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと」


大恐慌の教会

 今朝、早天礼拝に来て、ふと思い出した俳句です。
 芭蕉が(奥の細道)、奥州平泉を訪れた時、頼朝によって、義経が討たれた衣川古戦場に立ってうたったうたです。私は高校時代そのすぐそばで過ごし、なんども訪れたことがあるのです。

 今年もイブの礼拝を無事に終えることが出来ました。
 つい昨日の夜のことですが、うちの教会の、今年一年の戦いの跡を見る思いがしたのです。
 まだ、今日がクリスマスですから飾り付けは残っているのですが、日曜日、昨夜と続いたクリスマスの賑やかさは消え、使われた道具などもすでにきれいにかたづけられています。
 でも、床に、キャンドル・サービスで使ったろうそくのしたたりやにおい、美味� ��かった!ケーキのかおりがかすかに残っていたからです。
 感傷に浸ったわけではありませんが(そういうタイプではありません)、やはり、今年一年を思い起こし、「よく来られたなー」と、安堵の思いと神様への感謝の思いがわき上がって来たのです。

 11月の特別プログラム月間から、ずっと引き続いての活動でしたので、多少疲れも出たのでしょうか、皆さんはよくなさったのですが、イブ礼拝の方は少し準備不足で(私の責任です)、ちょっともたついてしまいました。
 でも、そのあとのパーティーでは、youthのメンバーたちがよく頑張ってくれて、とても楽しく、笑い声と歓声が絶えませんでした!
 会場設営から全体の企画・準備、そして後片付けと、実に見事にやってくれました。
 たった2時間 ほどのプログラムですが、それに費やされた時間とエネルギーは相当なものでした。
 づっとやって来た私には、それが誰よりもよく分かったのです。

 朝、会堂に残っていたかすかな雰囲気の中に、感謝とともにわき上がって来た喜びでした。
 きっと何年も先に、この日のことを懐かしく思い出すでしょう。
 そして、それが単なる夢のあとではなかったことを、何千人もの人々と祝うクリスマスの中で‥‥ 。
 絶対に中心になっているだろう、youthのメンバーたちもね!

クリスマスの恵みと準備 - 寺田祐一牧師

2007/12/24 (Mon) 08:16:51

昨日のクリスマス礼拝、皆さんいかがだったでしょうか。
 勿論、今晩はクリスマス・イブですから、また夜にあると思いますが、私たちの教会の賛美礼拝はとても楽しいものでした。礼拝後の持ち寄り愛餐会はでも、私たちの教会のご婦人たちは、皆さん料理が大変お上手で、笑い声も絶えず、美味しくいただきました。ただ、いつも騒々しい子どもたちが、冬休みに入って、お母さんの実家へ帰ったりして参加出来なかったのがちょっと寂しかったでしょうか。落ち着いた愛餐会にはなったのですが‥‥ 。
 皆さん、ありがとうございました!

 昨日も簡単に書きましたが、朝は冷たい雨だった天候も、礼拝が終わって見ると快晴の好天気、暖房も入らないほどになっていました!
 これで夕方のキャロリ ングも出来ると、愛餐会後は、子どもたちと一緒に、張り切って練習もして待ちかまえていました。
 4時頃に、車に乗り合わせて(私たちの教会は、歩くと駅まで50分ぐらいかかってしまいます)、出陣?致しました。
 4時半は、まだ少し明るかったのですが、人通りの中、さっそく演奏開始。
 少し落ち着かないまま始まった感じで、聖歌隊もあまりきちんと声が出なくて、ちょっと心配しました。
 しかし、一回目が終わるころには、あたりもすっかり暗くなってムードも大分出て来たところ、第二回目の演奏が始まりました。今度は少し落ち着いて、子どもたちのハンド・ベルともうまくマッチし、とてもよい演奏となりました。町行く人々も立ち止まって聞き入り、イエス様の御降誕、クリスマスを祝いまし� �!

 小さな田舎の教会にとっては、もうこれだけでも十分満足でしたが、今日はさらにイブ礼拝、少し大変だなと思いますが、でも大丈夫! 今日の主役はyouth(青年たちの集まり)たち、疲れなどなんのその、昨日もキャロリングのあと、大分遅くまで準備もしていたようです。
 今日も、多分もう間もなくみんな集まって来て会場の準備などがはじまるのでしょう。
 楽しみにしています。
 このために、毎年、婦人たちも美味しいケーキを、まるでバイキングのように作って来てくださいます。
 お客様も大勢お招きするため、目には見えない労力がたくさん捧げられるのですが、そのおかげで私たちは、反対に、落ち着いた静かなイブの夜が迎えられるわけです。
 何でもそうでしょうが、1時間の充実し� �プログラムのために、どれほどの時間と労力が必要なことでしょうが。一回で終わってしまうのが、本当にもったいない気がしますが‥‥ 、でもそれがいいのですね!

 お近くの方は是非私たちの教会へ!
 遠い方は是非お近くの教会をお訪ねください!

ハイジ - 東江公人

2007/12/24 (Mon) 00:22:17

GYAOでハイジの映画を見ることができます。期間限定です。興味のある方はどうぞ

クリスマス礼拝 - 東江公人

2007/12/23 (Sun) 22:29:15

今日はクリスマス礼拝。その後愛餐会を持つというパターンが毎年同じように繰り返されています。

 内容は、それほど変わらなくても毎年ごとに微妙な変化があります。昨年はと振り返ってみますといつものメンバーの静かなクリスマスの時を持ちました。しっとりとしてなかなか良いものでいたが、少し寂しい感じもありました。
 しかし、今年は一転してガラッと変わったクリスマス礼拝でした。土曜こども会のメンバー達などが家の許可を得て夕方6時からのクリスマス礼拝に参加してくれたからです。大人12名。こども15名のこどもの多いクリスマス礼拝になりました。
 といってもがちゃがちゃした感じはなくこどもなりに礼拝の厳かさを感じてくれたようでした。
 同じように見えても神様は 時にかなった人たちを導いてくださるのだなと主の御名をあがめました。

ここちよい緊張感 - 寺田祐一牧師

2007/12/23 (Sun) 23:22:50

 寝ようかと思ったところに、東江さんからのうれしいお便りがありました。
 なんだか元気が出て、遅い遅い夕食をとりながら返事をしています。

 クリスマス、よかったですね。なにかしっかりとした様子がうかがえます。
 普段しっかりしていないと言うわけではないのですが、今日の書き込みには、落ち着いた緊張感があり、何か決意のようなものさえ感じられます。なにかあったのでしょうか。
 東江さんの、沖縄、名護における15年間の働きを現しているのでしょう。
 がんばられたのですね。
 来年が楽しみです。
 励まされました。

快晴のクリスマス - 寺田祐一牧師

2007/12/23 (Sun) 18:51:24

 雪どころか、朝降っていた雨も、礼拝が終わる頃にはすっかりあがって快晴となりました。ストーブもいらぬほどに暖かくなり、ついさっきまでもぽかぽかしていたほどです。
 昨日、出来るかどうか心配していた吉川駅前でのキャロリングも、無事に終えて今帰って来たところです。多少練習不足のところもありましたが、どうやら、集まってくださった方々には喜んでいただいたようです。
 どなたかが写真を撮ってくださっていましたので、後ほど掲載しましょう。

 お昼の持ち寄り愛餐会など、とにかく楽しい充実した一日でした。
 詳しくは明日‥‥  、いや、明日こそクリスマスの本番、イブ礼拝でした。
 イブ礼拝は、レストランのように、いすテーブルの配置するので、その準備のため� ��朝から忙しそうです。
 毎年、結構お出でいただいて、とても賑やかで楽しいひとときです。

 

クリスマスの準備 - 寺田祐一牧師

2007/12/22 (Sat) 20:33:20

 どうやら今日は雪は降らなかったようです。
 ホッとするような、がっかりするような‥‥ 

 12月はなかなか忙しくて(先週は朱基徹記念会もあった)、準備が間に合うかなーと思いましたが、どうやら礼拝堂の準備は無事に終わったようです。
 説教のほうはまだですが、一応要約はまとまったようですので、home「説教」のところに掲載しておきます。お読みになるのは明日の方がいいかも知れません。

 お読みくださったら感想もお寄せください。

 明日、雪は降るのでしょうか‥‥ 
 今夜も少し忙しい、かな。

こんにわ - Grace

2007/12/22 (Sat) 14:38:28

  いつもFC2Bで恵まれています。先生方ありがとうございます。
 
 昔の友達に手紙とプレゼントをおくれました。
 ハレルヤ。祈ってくださりありがとうございます。
 昨日、彼女が誕生日でしたから、返信がきまして、彼女は喜んでいました。
 クリスマスの案内には触れてませんでした。
 でも私が生きているかぎり祈ります。
 聖書に、「この子(イエスキリスト)は、イスラエルの多くの人が倒れ、また立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。」ルカ2、34

 私は、怖がりでして、もしこの世から良い牧師先生方がいなくなってしまったらどうしようと考えます。
 しかしわたしを助け、導き、生かしてくださる方がいるのだと知っているので、安心です。
 その方はイエス・キリストです。この方に感謝します。

Graceさん良かったですね! - マルタ

2007/12/22 (Sat) 16:34:43

  今日はマルタです。

 Graceさん、お友達にプレゼントを渡す事が出来て良かったですね。
 私、マルタもとても嬉しいです。
 何時か、お友達も教会に通って、神様に出会えたらいいですね。
 家族でも、友人でも神様について語り合えたり、神様に共に祈りを捧げられるのはとても良い事だと思います。
 これからも、お祈りしています。
 今日は、とても寒い日ですが、心が暖かくなりました。

窃盗団 - 東江公人

2007/12/22 (Sat) 16:17:10

 何やらスピーカーで放送がさていました。音質も悪く窓も閉まっていたので聞き取れませんでした。そのまま気にも留めないたら、家内は気になったようで公民館に問い合わせの電話をしたようです。それによると「最近、名護界隈で店舗を狙った窃盗団が荒らし回っている」とのこと。気をつけるようにとの放送でした。それを聞きながら世知辛い世の中で不景気なんだだなと思っていました。家内は途端に戸締まりをしなくてはと臨戦態勢に入ったようです。いつ盗人が来るか分からないと言う感じです。

 その様子を見ながらイエス様の言葉を思い出しました。

テサロニケ人への手紙第一5章2節
主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。

これはいつも主を覚えて歩むようにとの言葉です。いつ私の家に泥棒が入るか分からない。鍵を閉め身構えてと言う緊張感!!。少し、この御言葉の意味を味わえたかなという一時でした。

「今日は雪になるかも知れません」 - 寺田祐一牧師

2007/12/22 (Sat) 08:42:17

 これから雪になるのでしょうか。
 吉川地方、今日は、それほど寒くはないのですが、曇り空で、小雨がぱらついています。
 天気予報では雪になるのだと‥‥ 。

 雪かー、明日の準備‥‥ 、クリスマス賛美礼拝、イブ礼拝と続くのに‥‥ と、ちょっと不安もよぎります。勿論、お仕事に行かれる方々など、いつも交通機関にも大きな影響がでるので大変です。
 でもすぐに、冬に雪が降るのが当たり前、今は降らないからおかしい、そしてまた子どものころの懐かしい冬景色、雪のクリスマスや正月がこころに浮かんで来ました。
 何度も紹介紹介しましたが、私は岩手の山奥出身です(ずぶの素人さんもそうでした)。まさしく「うさぎ追いしあの山、こぶな釣りしかの川」で、文字通り雪の中� ��うさぎを追っていました!
 雪の上に点々と続く、ナンテンの葉っぱのような、小さな三本指のうさぎのあしあと、それを追って、子どもたちのあしあとも続くのです。
 あれはいつの時代のことだろう‥‥ 、そんな時代があったのだろうかと思うほど、私一代の時間に過ぎないのに、思い出すのも難しい、遠い過去となりました。というより、季節感も期待感も薄れてしまう、365日忙しい日の続く、そんな時代のせいなのでしょうか。

 今日は雪、秋から冬に移り変わろうとする時、「ほら、雪だよ」と母に起こされ、急いで目を覚まして窓を開くと、外は一面の銀世界、今年最初の雪に、これからますます寒くなって学校へ行くのも大変だというのに、なんだかうれしくなって興奮したものです。
 そこには、� ��た新しい冬という季節が巡って来たことの新鮮さ、冬の楽しい想い出、スキー(竹を編んだものでした!)、そり(確か全部手作りで「そりっこ」と呼んでいました)、凍った田んぼでのスケート、雪合戦にうさぎ取り‥‥ 、鈴を鳴らして走る馬そり(本当にありました!)、もちつき、そして何よりもクリスマスと正月への、待ち遠しい思いのすべてが込められていたようです。
 
 「今日は雪になるかも知れません」というひと言は、一瞬の不安とともに、こんなことを思い出させていました。
 季節が変わらなくなったのは、時代が変わったからでしょう。
 でも、こうした想い出がまだこころに残っていることは、なんと幸いなことでしょうか。
 
 おそらく、時代が変わったのではなく、変えてしまっ� �のでしょうが(温暖化も含めて、誰の責任というわけではありません)、こうした期待感と新鮮さは、次の世代にも伝えてやりたいと、つくづく思います(時代錯誤かも知れませんが)。そのためにもよいクリスマスにしなければ‥‥ 。
 しかし幸いなことに、人の世界がいかに移り変わって行こうとも、聖書のみことばもイエス様も、そしてクリスマスの喜び、恵みもまったく変わらないのです。

 「今日は雪になるかも知れません」は、少なくとも私のこころに、クリスマスの新たな喜びと新鮮さをもたらしてくれました!
 ひとあし早い、私への神様からのプレゼントだったのでしょうか!
 明日は書き込めませんので、これまたひとあし早い「Merry Christmas!」と、皆さんにご挨拶申し上げます。
 

思い出さない過去 - 寺田祐一牧師

2007/12/21 (Fri) 08:47:58

  昨日は、このBBSを掲載しているFc2というレンタルサーバー会社のシステムが、メインテナンス中に障害が起き、九日分のBBSの過去のデータが失われてしまったようです。どうやら、失われたデータは復旧不能のようで、いわば永遠に消え去ってしまいました。
 せっっかく皆さんにご投稿いただいた貴重なものであっただけに、大変残念です。
 ただ、幸いなことに、Fc2から、投稿の度にお知らせメールがホストのところに届き、そこに投稿内容も記されていますので、そこから可能な限り再掲載させていただきました。面倒くさがらず、削除せずにそのお知らせメールを保存していたのがよかったのです。
 私のように整理の出来ない者は、いつも必要な時に必要な資料を探し出せず、悔しい思いや歯がゆい思いをするのです� ��、どういう訳か、今回はうまく行ったようです。
 このBBSには、勿論軽い内容も多いのですが(むしろこちらの方が大歓迎なのですが)、しっかりとて教えられるものも多く、少し神経を使って保存していたのです。
 私にとっても、ほぼ毎日書かせていただいているのですが(読んでくださる方々には本当に感謝しています)、かなり貴重な資料となっています。内容はイマイチなのですが、毎日というのは面白いもので、隠すことの出来ない自分自身がさらけ出されてしまいます。つまり、気取り続けるのは難しいのです。
 うちの教会でも、みなさんもう10年、20年という関係です。私がすでに裸にされているように、私もまた裸の皆さんを見ています。ちょうど家族のようにでしょうか。
 ですから、たまに会 う人の評価と、いつも身近にいる人の評価が、まったく違ってしまっていることもしばしばです。「あの人、変な人だよね」というと、「ううん、そうじゃないよ」とか、反対に「あの人素晴らしいよね」と言うと、「もっとよく見たほうがいいよ」などと言われます。
 どちらが本当なのか、本当に面白いものです!
 どうやら、言っている方は、自分が正しいと思い込んでいるところも面白い!
 人の評価というのは、なかなか難しいものです。芸術作品以上です。
 
 ヨハネの黙示録によると、天には様々な書があり、そこには、この地上に生まれ、生きた人のすべての記録が書き記されていると書かれています。そしてその資料は神様の御手の中にあって、Fc2ののように、手違いで失われることもなく、私のよう に整理が出来なくて分からなくなるようなこともありません(そう言えば、社保庁の記録管理は凄い! 負けました‥‥ )。
 そしてその評価も、見方によってとか、人によって違うと言うこともありません。
 完全な資料と、完璧な判断によって、神様がなさるからです。

 ふーん、恐いな‥‥ 、誰か素晴らしい人生だったねとほめられる人はいるんだろうか。
 少なくとも私は駄目だなー、と落ち込んでしまいそうです。

 しかし神様は、二つのことを教えてくださいました。
 ひとつは、あなたがわたしを認め、信じるなら、わたしはあなたの罪を思い出さないようにしよう。
 つまり、データを消去しようとおっしゃってくださいました。
 そして、その証拠と作業のために、わたしのひとり� �イエスをあなたがたに送ろうと。

 私の過去の嫌なことがすべて覆われたなら、なんてうれしいことだろう‥‥ 、でもどうやって‥‥ 。
 それを期待し、希望をもって待ち望む時こそクリスマスなのでしょうか。
 もう間もなくですね!

 それにしても、私たち人間は覚えていすぎるかも知れません。
 怒りや憎しみ、恨みなど、少し記憶装置が壊れた方が幸いでしょうか。

同盟教団用語辞典 - 東江公人

2007/12/20 (Thu) 23:09:09

 私たち同盟教団で頻繁に使われている言葉を一般の辞書から調べてみました。

★役員 : 会社・団体などの幹部職員。法人においては、その業務執行、業務・会計の監査などの権限を有する者。

 うーん。どうもこれでは教会の特権階級の様なイメージが強いですね。
 教会に仕えるという意味が必要な気がします。

 ちなみに聖書の用語の執事・長老は以下。

執事 :身分ある人の家にあって、庶務を執り行う人。
長老 :キリスト教の初期に、使徒に次いで重要な役割を果たした教会の指導者。

こちらの方が良くその務めを表しているように思われます。

★教団 : 同一の教派・宗派の人々で組織されている団体。a religious organization.

  英語でははっきりしていますね。宗教団体。これは国がキリスト教を見る見方ですね。この用語を教会が使って良いのか?疑問です。教会という用語があるのですから素直に教会とした方がいいように思います。

★理事 : 団体において、それを代表し事務を管掌する者。

 理事の仕事というのは現在は主に人事の仕事が多いように思われます。
 教会間の調整役のような名がふさわしい気もするのですが‥‥

★宣教区 :なし。新しい言葉ですからありませんね。勿論。

 ちなみに教区は:宗門の布教や監督の便宜のために設けた区域。

★役務(えきむ)者 役務者と言う用語はないが役務はありました。(他人のために行う労務やサービス。)

 うーん。仕えるという意味がありますね。
 囚人が強制的につかせられる労働をも言うようです。

教会が教会であるために - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 23:11:11

うーん、東江さんらしい面白いポイントですね。
 私も以前から、日本の教会が、特に「役員」という言葉を使っているのには、少なからず疑問に思っていました。日本の宗教法人法の呼び名なのですが、あきらかに聖書からの呼称ではありません。

 やはり聖書的に「長老・執事」とすべきかも知れません。
 少なくとも、アメリカや韓国の教会ではそう呼んでいて、その役割も聖書的ではっきりしています。
 
 日本でのこうした習慣は、戦前から戦後にかけての歴史を抜きにしては考えられないのですが、宗教法人、社会の枠組みに捕らわれた制度、呼称であることは確かです。
 日本の教会が、あえてこの制度に迎合しているのには、あまりにも少数派であったこと、反社会的なイメージの中で� �立することを恐れたという、悲しい事実があります。
 江戸時代、切支丹禁制時代から引き継いでいる、邪教などという恐ろしいイメージを払拭し、国家の権威の元に伏し、天皇制に恭順の姿勢を示そうとするところから来ています(恐るべき江戸時代の迫害と弾圧の凄さ、時間的長さを考えると、こころが痛みます)。
 しかし、確かに教会は社会に受け入れらることも大切なことですが、それ以上に、教会であることが大事です。

 少なくとも、みことば、聖書中心の「聖書信仰」を標榜する福音派は、もうそろそろそこから脱却してもいい時期かも知れません。実は、朱基徹委員会の重要なテーマでもあります。
 歴史の重みというものを考えると、だらしないとか、遅すぎるとかは言えませんが、どうやら早すぎ� �こともないようですよ、東江さん。
 ぜひ頑張ってください。
 期待しています!

失われた資料の復旧 - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 23:05:51

 失われた九日分の書き込みを再掲載しました。
 そのため、投稿日、時間が違ってしまいますが、ご了承ください。
 案外簡単に出来たようです。

FC2サポートの障害 - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 23:02:31

この掲示板の登録会社であるFC2サポートが、次のような障害のお知らせが掲載されていました。
約九日分の掲載記事とカウンター数が消えてしまったようです。
どうやら回復は難しいようですね。
これは大変小さなことですが、便利な時代、こんな事故でも会社が倒産したり、大事な資料が失われたりと、大きな問題に発展してしまうのかも知れないと、改めてひやっとさせられます。
事故直前のカウンター数が、確か19730回ぐらいだと思いますので、障害直後の16950回を変更して、後ほど再開します。
FC2サポートの方では、この九日間の資料は失われたようですが、幸い、もう一つのBBSにサポートしてあるのと、投稿のすべてが、FC2サポートからメールで知らされていますので、少し時間がかかりますが、復� �していきたいと考えています(時間があるときに‥‥ 、東江さん、よろしくお願いします)。
以下は、FC2サポートからの報告です。

「FC2サポートです。
平素はFC2をご利用いただきありがとうございます。

2007/12/20 16時39分

本日お昼過ぎ頃よりbbs11サーバ利用の掲示板にて閲覧障害が発生しておりましたが先ほど修正させて頂きました。

尚、誠に申し訳ございませんが一部ユーザー様にて以下の症状が出ております。

【障害の概要】
・一部ログの欠損(過去2週間程の記事)
・デザイン設定が初期状態になっていることがある。
・カウンターデータが初期状態または過去の数値になっている。

【障害の原因】
・メンテナンス時にデータベースの移行中にエラーが発生。

大変申し訳ござ いませんが、デザイン設定につきましては再設定を御願い致します。
ログの欠損に関しましては手を尽くしましたが、一部ユーザー様の掲示板でデータの復元が出来ませんでした。大変申し訳御座いません。

カウンターデータにつきましては、近日中にカウント数を任意の数字に設定できる機能をリリース予定ですので、今しばらくお待ち下さい。

この度はご利用の皆様には多大なるご迷惑をお掛けし誠に申し訳ございませんでした。

以上今後とも何卒FC2を宜しくお願い致します。」
欠損部分をすぐにご覧になりたい方は如何にアプローチしてください。

私が保存用、下書き変わりに使っているものです。
また、それ以上の過去の書き込みは、HPのBBSログで見られます。

イエス様の緊張 - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:59:10

お早うございます。

今朝は昨日ほどはなく、少し寒さも和らいだようです。
からだの緊張ばかりではなく、こころの緊張さえほぐれて行く気がします。
少し暖かくなると、運動後のような、節々の痛みが残るのを覚えるのですが、寒いと体にも力が入って、固くなっているのでしょう。
寒さばかりではなく、私たちの回りには、つい緊張させられることが多くあります。
人ごとであっても、嫌な、残虐なニュースを見ても、こころに、さっと緊張が走りますし、仕事や身近な人間の関係などで、今まさに緊張を覚えている方もいらっしゃるでしょうか。これからお出かけになる方も、今日一日のことを考えると、外気温ばかりではない寒さ、負担を感じておられるかたもいらっしゃるでしょう(勿論、もうす� ��にお出かけの方もたくさんいらっしゃいます)。
思わず、無事でありますようにと言う祈りが、こころの底から、自然にわいてきます。
大変ですが、今日も一日、頑張ってください!
「明日のことは明日が心配します」(イエス・キリスト)

牧師にとって、いや、私かな、一番緊張するのは電話です。
特に、朝早くとか、それこそ夜中などにかかってくる電話の音には心臓が止まるほどです。
幸い自分自身の問題としてはほとんどないのですが(母が入院している時などは、本当にドキッとしたものですが、やはり病院からの知らせは真夜中でした)、少なくともうちの教会の皆さんは、私にとって家族と同じですから、やはり何かあったのではと、電話をとる前には大分緊張します。
それが、特になんでもな� ��ものだったりすると、本当にホッとして緊張が解けます。
時に深刻な問題だったりすると(みんな経験のあることだと思います)、腰から力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまいます(実際その通りで、情けない牧師です)。
しかし、これまでのところ、勿論座り込んでいるわけには行きませんから、「主よ!助けてください!」とこころの中で叫びながら、力を振り絞り、なんとか立ち上がって受け止めることが出来ました。
とにかく乗り越えた時の安堵感は、言葉には言い表されません!
そして、生きている限り、どんな人でも問題からは逃げられないのですから、その緊張感は、そのまま自分の人生に対する真摯な姿勢そのものでしょう。スポーツ選手が、演奏者が、これから自分の仕事の、責任に向かってそ の役割を果たそうとする人はみな、この緊張感を味わうはずです。これを失っては、むしろよい結果を得ることは出来ないでしょう。もし、人のこころをうつことの出来る何かであるならば、そこには、必ずよい意味での緊張感があるはずです。
ただ、人との関係における緊張感は、残念ながら、時に様々な間違いをも起こしてしまいます。

神様の前での緊張感、出来てもいないので偉そうになってしまうのですが、緊張感の原点がここにあるのだと思います。すべての緊張感の原点をここにおく、そしてすべてを御手に委ねて行く、そこから示される神様の導き、これを感じられた人は、人として本当に幸いです!
今日の詩篇36篇9節には、次ようなダビデの告白がありました。

いのちの泉はあなたにあり 私たちは� ��あなたの光のうちに光を見るからです

緊張も光もたくさんあるのですが、荒涼とした中東の砂漠の中、ダビデは、ただ神様の光の中にこそ、真の光があることが分かった時、こころの泉に、いのちの水がわいてくるのを感じたのです。

ベツレヘムの上に、主の御降誕を知らせる星が輝きました!
これこそ真の光です。
イエス様は、どんなお気持ちでこの地上にお降りになったのでしょう‥‥ 、きっと、緊張しておられたと思います。

寒い冬ですが、忙しさゆえの緊張の中、ふと夜空を見上げて見ませんか。
今もその星は輝いていますよ!
見上げる時、不思議ですが、心地よい緊張感を覚えます。

おや、これを書いている内にも、大分暖かくなって来ました。今日も頑張ろう!
主がおられるのだから 。

ライオンと魔女 - 東江公人

2007/12/20 (Thu) 22:56:00

C.Sルイス原作のナルニヤの物語がアニメで公開されています。第1作の『ライオンと魔女です』これは聖書のキリストの十字架と復活がモチーフになっていてとても味わい深い物語です。
しばらくしたらこの作品の面白い部分を書こうかと思います。今書くとネタバレとクレームが来るといけませんから…

以下 ヤフー動画から見ることができます。

赦された者 - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:53:33

お早うございます。

今朝もまた、真っ白に霜が降りるほど寒い朝となりました。
でも、やっぱり、どんどん季節感の薄れていく、そして温暖化など言われる時、冬らしくていいでしょう。

今日は、今年最後の水曜日の区域が午前中にあります。
今週金曜日にある区域が、うちの教会における最後になるわけですが、今年一年も、本当によく守ってくださいました。足らない牧師としては(謙遜ではありません)、守って来てくださったメンバーのみなさんにただ感謝するほかはありません。
一年間、ご苦労さまでした!
本当に、来年もよろしくという思いです。

今日の内容は、クリスマスの季節ですからとも思うのですが、すでに何度も、これからもまた24日までお話しますので、あえて違うも� �にしましょう(クリスマスのお話、毎年10回はするでしょうか)。

うん、いらっしゃれない方のために、その内容をこっそりと教えましょう。

「赦された者」
詩篇130篇

神様はきわめて危険なお方です。
神様は聖いお方です。
私たちには罪があります。
闇が光と共存できないように、罪は神様と共存できません。自分なりの「善」を主張して神様の御前に立つならば、私たちは破滅するでしょう。
詩篇の作者が「主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ、だれが御前に立ちえましょう。」(詩130:3)と書いているとおりです(厳しいようですが、これが聖書のメッセージです)。

ニューヨーク市からそれほど遠くない墓地に、「赦された者」と刻まれた墓石があります。
埋葬� ��の生年月日や死亡年月日、墓碑銘もありません。ただ、その人の名前と「赦された者」と書かれているだけです。
このメッセージはとてもシンプルですが、全ての人の墓石に刻まれ得る最もすばらしい言葉です。

詩篇の作者は「あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます。」(4節)と語ります。
それは、旧約と新約の両聖書を貫くメッセージです。神様だけが、私たちの罪の記録を消すことができるお方なので、私たちは神様をあがめ礼拝します。
もし、神様が赦してくださらなかったなら、私たちは恐怖におののいて逃げ惑うだけです。
しかし、恐ろしく聖なる神様は、キリストによって私たちをあがなってくださった神様でもあります。
危険な神様は、「君たちの全ての罪を赦してあげよう� �と語りかけておられます。ですから、私たちは、「よろしくお願いします。」と応答すればよいのです。
あなたは赦されていますか。

聖歌 129番

単純ですが、福音そのもの、聖書の恵みそのものです。
それを実現してくださったのが、赤ちゃんとしてお生まれになった、御子イエス・キリストです。


中世に何がユダヤの定義であった

今年最後に振り返って祈る、適切なカ所であったかも知れません。
勿論「祝福の木!」もお忘れにならないように!

祝福の木 - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:49:32

お早うございます。

今朝は大分冷え込んでいるようです。
でも、冬の朝ですから、当然です。むしろこの寒さを楽しみましょう。
とは言っても、人一倍寒さに弱い者にとって、寒いものは寒い!

さて今日は、この前、日曜日の礼拝でお話した中から、あるご夫婦のあかしを紹介して見ましょう。
いつものように、ディボーション(神様の御前での瞑想、静かな祈り時)用にまとめられている「デイリーブレッド」の中からです。

事業に失敗してしまい、クリスマスを祝うお金さえくなったご夫婦がいらっしゃいました。
歳が明けると、今住んでいる家さえ人手に渡ってしまいます(今日本でも、競売という言葉を知らない人がないぐらい、人ごとではありません)。
しかし二人ともクリスチャン だったので(勿論、クリスチャンでもこういうことはあります)、折角のクリスマスを、ただがっかりして沈んだまま、どうしても終わりたくはありませんでした。本当に‥‥ 。
それで二人は、パーティを計画し(お金もないのに)、友人たちを招くことにしたのです。
イブの夜、事情を知っている招かれた友人たちは、不審に思いながらもその家に入ると、そこには一本のクリスマスツリーが飾ってありました。星は一個だけ、あとはなんだか分からない、リボンで結んだたくさんの丸められた紙がぶら下げられているだけでした。
それこそなにもない寒々しい部屋で、それでも二人は、「ようこそ、私たちの祝福の木へ!」と、喜びに満ちて友人たちを迎えました。
怪訝(けげん)な顔をしている友人たちに、「ご覧� �通り、確かに今は大変だけど、神様は私たちを守ってくださったんだ!それでこの木を神様に捧げることにしたんだよ。それぞれの紙の中には、神様が、今年私たちにしてくださったよいこと、祝福が書かれているんだよ」と言ったのです!
この夫婦、その後もさらに多くの試練を通ることになったそうです。
しかし、二人はそんな中でも、神様に焦点を絞った生き方を選び続けました!
その後、幾多の試練をも乗り越えて回復して、豊かなクリスマスも迎えていくのですが、この時がもっとも厳しい時の、あの「祝福の木」を作ったクリスマスが最も素晴らしかったとあかししていました。
どんな状況であっても、クリスマスを難しく過ごす必要はありません。
救い主であるイエス様は、誰がなんと言おうと、状況が� �うあろうと、その預言、神様のご計画の通りにお生まれになったのですから!
現実の厳しさの中(本当に厳しくて泣きたくなります)、そんなに簡単にいけば世話はないと、腹を立てる人もいるでしょう。
しかしこれは現実の話ではなく、(おめでたい)クリスチャンの話なのです。そうならないとは、誰が言えるのか。聖書の預言はそれを保証しているのです!
これがクリスチャンの恵みです。頑張りたいなと、もう一度勇気がわいて来ます。

どうですか、あなたの「祝福の木」、作って見ませんか!
必ず出来ますよ!

クッパとキムパ - 東江公人

2007/12/20 (Thu) 22:44:04

クッパはスープにご飯を入れて食べる韓国料理。キムパは海苔巻き。パと言うのが韓国語でご飯のこと。クッというのがスープ。キムと言うのが海苔。
韓国も日本と同じくパ(ご飯)を使ったものが多くて親しみがわく。クッパには韓国の労働者の風情がある。日本で言うラーメンライスの感じだ。
そして、キムパほうは日本帝国時代に日本の海苔巻きの伝統が韓国に伝わった歴史があるようだ。日本の海苔巻きは酢をつかうが、キムパは味付けに塩をつかうところがちょと違うようだ。
日本が韓国を支配しその中でキムパという食べ物が生まれたことを考えるとキムパの中に悲しみと痛みの味が錬り混まれているようにも感じる。
朱基徹委員会で食べるものはこのキムパがいいかもしれませんね。寺田先生。

< p>歴史 - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:46:19

うむ、なるほど。

ただ、韓国語の発音を日本の文字で表現するのはなかなか難しいのですが(外国語はみんなそうでしょうね)、クッパの場合はその方が通じると思うのですが、海苔巻きの場合は、むしろキンパップの方が発音としては通じやすいかも知れません(飯はパップかなー)。

キンパップの特徴は、もう少し、中身に牛肉を使うのと(ほうれん草とタクワンを一緒に)、ごま、そしてごま油を表面に塗るところかなー。
それで、同じ海苔巻きなのに、まったく違う味、食べ物になっているのが面白いところです。
また、キンパップはすでに日本の海苔巻きを越えていますので、「中に悲しみと痛みの味が錬り混まれているようにも感じる」こはあまりないかも知れません。

むしろ、どんな時にそ れを感じるのかと言うと、今ではもう70才以上の方になってしまいましたが、お会いする時、日本語でお話くださる時です。そして「私は昔吉田という名前でした」と言われたりする時です。
そんな時、胸がちくっとし、私はどうお応えしてよいのか分からなくなります。
一番辛いひとときです。
しかし、そうして日本語を押しつけられ、名前さえ変えられた世代の方々も残り少なくなりました。

朱基徹牧師記念会は、確かにそうした時代を風化させないためでもあります。

あ、でも、集会のあと一緒に食べたのは和食でも韓国料理でもありませんでしたよ。
そう、お互いのルーツのひとつでもあるかも知れない、中華料理でした!
横浜中華街で、本当に楽しく美味しかったなー。

次回は、ぜひ東江さん も参加してください!

もうすぐクリスマス - マルタ

2007/12/20 (Thu) 22:37:38

寺田牧師先生、東江牧師先生、皆さん、お早うございます。
マルタです。
昨日の東江牧師先生の讃美歌等に使われている文語体の言葉、よく理解出来ていないで口にしているかも知れないと言うお話、私、マルタも同感です。
先日、『諸人こぞりて』の事で書き記した通りです。『きよしこの夜』は、子供ながら辛うじて情景が浮かんでいましたが…。
先週も寺田牧師先生と東江牧師先生の書き込みの中にはっ!とさせられる事が沢山ありましたが、今週もそれを楽しみにしています。世の中の事と神様・聖書の事を、ぴったり!繋げている所が、すごい!と思います。
さて、もうすぐクリスマスです。全ての人、こぞってイエス様のご降誕を教会でお祝いしましょう!
お待ちしています。

Re: もうすぐクリスマス - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:41:17

悪魔のひとやを 打ち砕きて
捕虜(とりこ)を放つと 主は来ませり
主は来ませり 主は、主は来ませり

ご存じ『諸人こぞりて』の2番の歌詞です。
よく歌われるのに、詩をよく見ると、難しい言葉の連続です。
訳者の苦闘が伺われます。
ここまで確定してしまうと、まるで記号のような歌詞でも、分かろうと分かるまいと、みんな喜んで歌っています。むしろ分かりやすくと、歌詞を変えてしまうとなじみが薄れてしまうかも知れません。
ほかに「聖しこの夜」、「いつくしみ深く」など、別訳もあるのですが、取って代わるのは無理なようです。

ところで、上の歌詞「悪魔のひとやを」の「ひとや」が何かご存じでしょうか。
私はしばらく悪魔の「一矢」だと思っていました。
ある人は� �一夜」だよと言う人もいました。
どっちにしても当てはまりそうなので、ま、いいかと深く考えなかったのですが、ある時その本当に意味を知ることになり、とても驚きました。
皆さんはなんだと思いますか?

実は、漢字を当てると「人牢」となり、つまり「牢屋」「監獄」を意味するものだったのです。
なるほど、その善し悪しは別にしても、訳詞家のご苦労が伝わって来て、感動しました。
簡単に出来る世界はないのですね。

「悪魔の監獄を 打ち破って」、私たちを解放、お救いくださるために、イエス様はお出でくださったのですね!
「一矢」でも、「一夜」でもよさそうですが、やっぱり「人牢」ですね!

悪魔のひとやを 打ち砕きて!

大きな声で賛美し、クリスマスを喜びましょう!

23日の十時半から、クリスマス賛美礼拝、24日の夜6時半からは、クリスマス・イブ礼拝です。
皆さんのお出でをお待ちしています。

諸人こぞりて!

ノエルをばはじめに - 東江公人

2007/12/20 (Thu) 22:32:40

ノエルをば始めに歌いしはたれぞ
有名なクリスマスソングですね。終わりの部分ではノエル!ノエル!ノエル!ノエル!主はあもりませり。と讃美します。

礼拝後ある方から「ところで、今日歌ったあもりませりの「あもり」って何でしょう」と問われ答えに窮しました。意味を分からずに歌っていたことに気がつきました。調べてみると「天降り」と言う言葉から来ているそうです。主イエス様は天からくだって来られた神の子ですということだったのです。

知らないで歌っていたことがお恥ずかしい…。

難しい讃美歌? - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:35:28

聖歌127番「ノエルをば始めに」は、美しいキャロルのたくさんある中、私が一番好きなキャロルです(本当は決めがたいのですが‥‥ )。「聖しこの夜」などは、すでに好き嫌いのレベルも越えているでしょう。

おっしゃるとおり、キャロルに限らず、意味が分からずに歌われているものが多いようです。
讃美歌は、メロディーよりも歌詞に重点があるのですから、これでは、こころからイエス様の御降誕を喜ぶことは難しいですよね。
理由はふたつ、翻訳された年代が古いこと、そして、曲に合わせるために、かなり強引な短縮をしているためです。先人たちの苦闘のあとと言うわけです。
感謝こそすれ、文句を言う筋合いのものではありませんが、青年たちには、意味が通じる通じないにかかわらず、 ちょっと馴染みにくいようです。
伝統と改革、いつも難しいところですが、日本のキリスト教会も、思案のしどころ、のっぴきならない時期に来ているようです。若者のこころを捕らえられないだけではなく、形式化し、マンネリ化していくこと避けられません。
リメイク、新作など、必要ではあるのですが、そう簡単なことではありません。

でも、注意と良識はどんな場合でも大事なことですが、あまり難しく考える必要はないかも知れません。
現在歌われている讃美歌も、元を正せば民衆の歌で、芸術作品ではありません。しかも、現在歌われている讃美歌は、何千曲、いいえ、何万曲もあった中から(チャールズ・ウイエスレーなど、一人で2000曲以上も作ったと言われます)、何百年もかけて選び抜かれて来た ものだからです。
歌ってみると分かるのですが、なるほど、選ばれて来たものなんだなーとわかります。
よい讃美歌の最大の特徴は、衒(てら)いがないということです。
人に聞かせる、流行らせるといった、そのための細工やテクニックはなく、とにかく神様に向かって歌う、感謝を捧げることに徹底しています。
上手な方が、あまり技巧を凝らして歌われるとかえって興冷めしてしまうほどです。
神様への賛美の方法に決まりはありませんので、どんなかたちでもよいのでしょうが、衒いがあり、まさに福音的でないものは淘汰されて行くようです。衒いとは、結局自己アピール、自己表現、そして他へのおもねりにとなってしまうからでしょう。
勿論、これ自体悪いことではなく、世の中の普通のことで、クリ� ��チャンもこの世の仕事では当然そうしています。
讃美歌は、人にではなく、神様に捧げられる歌ということになります。
大事なことは、お経と同じように、聞く人にとって、意味不明のものになってしまわないようにすることでしょうか。ましてや歌う人が分からなければ意味がなくなってしまいます。

古いものをなおざりにし なんでも新しくすればよいのではありませんが、今は、讃美歌の歌詞も、検討すべき時が来ているのかも知れません。
古い詩、歌が味わい深く、大切であることは重々承知してはいるのですが‥‥  。

東江さん、そうした役割はいかがでしょうか。
向いておられるようにも感じますね!

恵みの中で - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:30:07

健康には人一倍注意はしているつもりですが、今週はちょっと忙しかったのでしょうか、今朝も大幅に遅刻してしまいました。普段していることがうまく出来ないことは、あまりいい気分ではありませんが、まあ、多少遅れても、続けていくことが大事だと考え、また月曜日からがんばりましょう!

昨日の午後、何人かの方々がいらして、クリスマスの飾り付けが何とか終わりました。勿論、23,24日に向けては、今度はyouth(うちの教会の青年たち)が色々と飾ってくれます。なんとか準備は出来たというところでしょうか。あとは本番を待つだけ。

今日は、明日の礼拝、午後の子どもクリスマス祝会、夕方横浜で行われる「朱基徹牧師記念の集い」の最終準備と、来週の「クリスマス賛美礼拝」の奉仕分担など (直接会って打ち合わせをするのは明日しかない)、さすがは師走、のんびりしている場合ではなさそうです。
ああ、忙しい、忙しい? でもないか。
楽しい!楽しい!ですね!

もともと忙しいのも仕事も好きで、特に、ほかのなんでもない、神様のご用ですからうれしい限りです!
心配なのはただひとつ、うまくお応え出来るかだけです。

すでに始まっていますが、今日は遅くなりそうです。
これを読んでくださっている方々も、お暇な人はいないでしょう。
よい一日でありますように‥‥ 、祈ります。

ああ、それから今日の夕方は、明日の講師、李象奎(イサンギュ)先生とお会いするんだったな。
急がなければ‥‥ 、失礼します。

ふぐを食べながら - 東江公人

2007/12/20 (Thu) 22:21:11

ふぐの乾し身をいただいたので早速、家内と二人、焼いていただくことにした。
食べながらテレビでやっていたぶぐに関するクイズ番組を思い出した。そのクイズの問題は「他の魚料理店にないものがあります。さて、それは何でしょう」と言うものだった。
答えはカギ付きのゴミ箱。ふぐの毒の部分をとりだすとすぐにそのゴミ箱に捨てカギをかけるのだそうだ
。そうしないと誤って誰かの口にはいると大変な事になるからだ。

それを思い出しながら思った。ふぐのように相手を殺してしまう罪とよばれる毒ををわれわれ人間も持っている。ふぐ毒の場合身を守るためののものだが、罪の毒は相手もまた自らも死に至らしめる最強の猛毒だ。沖縄のハブやウミヘビもかなわない。
多くの、者達がそれに全く� ��づかず、いや、むしろそれを意識的に否定しながら毒をまき続けて相手を殺し自らもその毒にやられている。
クリスマスはその罪毒を取り除く凄腕のプロの料理人がふぐ料理屋さんにやって来たようなものだ。
凄腕にまかせず、自分で取り除こうとすれば手痛いことになる。毒はまき散り多くのものが痺れ、死に至り収拾がつかない状況に陥ってしまう。それは罪毒を処理する力が自分たちに全くないからだ。

世の罪を取り除く神の子羊であるイエス様に我が毒の処理をお任せするしかない。それは速いにこしたことはないのは当然のことだ。

福音こばなし二題! - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:24:05

ほう、生かすと殺す、薬(赦し)と毒(罪)の二題ですか。
いずれも食べ物かけて。
いいですね!
さすがです。よく分かりました!

聖書には、罪ということばとともに「良心」ということばも出てきます。
悲観主義的観点からいうと、良心などということば自体ごまかしで偽善に過ぎないことになります。
簡単に言うと、聖書にはきちんと良心ということばがある限り、どう吟味したり斜めに見ようと、そして認めようと認めまいと、あるものはあるのです。
では、ないと言うことはどういくことでしょうか。
単純に、それを感じられない、麻痺していることになります。

アフリカのある民族の言い伝えでは、良心というのは三角のかたちをしていて、人のこころの中にあるというのです。
良心に反することをすると、こころの中で、その三角が動くのだそうです。
すると、こころの中の壁にぶつかり、ちくちくと痛むと言うのです。
しかし、それでもかまわず無視してし続けると(みんなやってる。世の中きれい事じゃ行かない、と言ったところか)、次第ののそ三角の角が取れて丸くなる‥‥ 。
そして、いつしか実になめらかに回転し、まったく痛みを感じなくなり、良心の存在すら忘れてしまうのです。まあ、麻痺してしまう、と言ったところですか。
ここから出てくる結論はただひとつ、人間に良心なんかない、みんな欲望で生きている、きれい事言うなといった悲観論です。
しかしこの話、その民族の中では、その時、その人は人間ではなくなるという結論なのです。
良心が麻痺したとき、� �れがその人の、人間としての「死」なのでしょうか。

うーん、イエス様、助けてください!
ふぐだけに、イエス様、ふぐ来てください! 
ですね。

うーん。苦しいか… - 東江公人

2007/12/20 (Thu) 22:27:13

主の恵みなくして我が歩みはアロエないー!!
うーんちょっと無理があるか。

アロエ - 東江公人

2007/12/20 (Thu) 22:19:32

二階へ登る外階段の踊り場にアロエの鉢植えがあります。沖縄はご存じのように温暖な気候。今では1.5?
ぐらいに広がり、我が物顔に踊り場を占拠しています。
アロエにはアロエべラと言う種類もあり、これは葉?の部分に肉厚があってそれを食べることができます。アロエ入りのヨーグルトなどが市販されています。
その種類も別のところに植えてあるのですが、踊り場にあるのは、小型の苦い通称、医者イラズと言われているもの。やけどや虫さされの時はこの汁を塗ります。また食べれば胃にもいいようです。それでこの名がつけられたようです。
最近その医者イラズに二つほど花が咲き始めました。ほとんど水もやらず、肥料も施していないのに自らはたくましく、まさに医者を必要としないばかりか、他� ��を癒す植物なのです。
茨の様なとげとげ(痛くはないが)あり、なんだか十字架のイエス様の姿を思い浮かべることができる植物だなと思っています。

イザヤ書53:1〜
私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。
彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。

「朱基徹牧師記念の集い」のプログラム - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:17:39

簡単ですが、お知らせのところに、「朱基徹牧師記念の集い」のプログラムがアップロード出来たようです。
ぜひ、ご覧いただき、お出で下さい。
お待ちしております。

おおい、みんな集まれ! - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:15:43

今朝は大分冷え込みも激しいようですが、皆さんいかがですか。
沖縄はそれでも暖かいのでしょうね。

それでも、お天気は良さそうなので、日中は暖かくなりそうです。

今度の日曜日、私たちの教会では、アドベントの大3週目ですが、午後に、CSの子どもクリスマス祝会があります。子どもたちの人数が少なく、今流の成果主義から言えば、「やったって、子ども数人じゃーね。先生の方が多いじゃないの」と、つい簡単になりがちです。
しかし、一人であろうと、精一杯祝うのが教会です!
私は簡単なメッセージをするだけですが(それも大変ですが‥‥ )先生やyouthのメンバーたちが、すでに色々と準備を進めているようです! 今年参加する子どもたちは幸いですね!

今からでも遅くはありま せん。近くの子どもたち、16日、午後1時半からです。
ぜひいらっしゃい!
勿論、もっと早くから来てもいいですよ!

その日、午後4時からは、横浜長老教会で、今度は「朱基徹牧師記念の集い」があります。
私はそちらにも参加しますので、午後2時半頃、祝会でのお話が終わったら、そちらに向けて出発します。
4時には少し遅れそうですが、プログラムや賛美集は、すでに送ってあるので、大丈夫でしょう(昨日は、その準備で、少し大変でした)。
そうだ、プログラムとニュースレター、お知らせのところにも掲載しておきましょう。うまく出来るかな‥‥ まだ慣れていないもので、時々うまく行きません。

メイン講師の李象奎先生は、昨日来日し、今日は、朝から(10時〜4時)神学校で、韓� ��教会の歴史について講義をなさる予定です(韓国教会のリバイバルの理由についてが面白いそうです)。どなたも受講出来ますので、お近くの方はお出でください。無料です。
朱基徹委員会は、超教派による、非常に少数のグループですが、その活動は大変大事なものです。
大げさに言えば、いずれ歴史の中で、この時代を変革していく発火点になったと、評価されることになるでしょうか。メンバーたちも、熱心さ、その賜物においても驚くべきものを持っています。とても楽しみです。
こちらの方にも、是非ご参加くださるよにお願いします。

昔からの友だち - Grace

2007/12/20 (Thu) 22:10:31

なんだか今日はにぎやかです。
久しぶりのエキストラさん登場。
また東江先生の救われた話。
昨日のレバノン杉のまるたさん(私もみたいなー)や、寺田先生の忙しさ。
私はそれを読んで満足してます。
実は今年、以前仲のよかった友達に、クリスマスプレゼントを渡して主のあかしをしようと考えています。
仲のよかった友達の旦那は、エキストラさんと似ている仕事です。でも裏方の仕事で、以前は、トリックという番組の裏方もしていて、TVにもでました。
彼らに主のあかしをと考えています。
高校生から私を知ってるので、逆に私が心配されてるんですよね。
心配しないでもいいのに。
難しいかな。
でもプレゼントはきっと喜ぶはずのものだと思います。
がんばります。主が� �いてますから。
教会にもきてほしいなー。二人がこれからもっと祝福されるように。
みなさん祈っててください。お願いします。

Graceさんお祈りしています - マルタ

2007/12/20 (Thu) 22:12:40

今晩は。マルタです。
Graceさん。お友達にクリスマスプレゼントを!の考えとても良いと思います。
神様もお喜びになると思います。
私、マルタもあなたの思いがお友だちに伝わる様に、神様にお祈りしています。
お友だちも、本当の神様を心にお迎え出来たら良いですね。

Re: 昔からの友だち - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:14:10

ええ、賑やかでしたね!
東江さんがちょっと元気がないようで、心配ですが‥‥ 。
風邪でもひきましたか?
でも、沖縄は暖かいですよね。

クリスマス・プレゼントかー、いいなー。
お友だち、きっと分かってくれると思います。
イブにはご夫婦でいらっしゃるといいですね!

私も祈りますよ。

クリスマス・・・コモリマス - エキストラ

2007/12/20 (Thu) 22:05:48

遂に、牧師さんにまで駄洒落菌を感染させてしまったようで・・・・

エキストラはクリスマスシーズンは貴重な稼ぎ時で、あちこち出稼ぎに行っとりました。有難いシーズンですが、精神も飛び散りそうです。ゆっくり篭もりたいクリスマスです。

「エキストラ」・・・名前の通りの仕事です。通称「トラ」とも言います。あちこちの楽団の臨時・緊急出演など、便利屋をやっています。今時のフリーターのような、フーテンの寅のような、何の保障もなく身体が資本の商売ですが、お蔭で色々器用にもなりました。

牧師さんの言う、「クリスチャンにしていただいた」を探求しながら・・・「何故自分はクリスチャンにしていただいていないのか?」を考えつつ・・・放浪しています。

しばらく顔を出さな くとも、どうぞご心配なく!

クリスマス・・・コマリマス - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:08:06

ああ、エキストラさん。
そうでしたか。大変ですね‥‥ 。
でも、何だか楽しそう!

私も、若ければそんな生き方をしたい!
フェリーニの映画、「道」を思い出しました。

イカス寅さんですね!
牧師という体面上、生真面目なふりをしていますが、実は私、本当は冗談で生きているような人間なのです。
ですから、エキストラさんのような方と出会うと、つい地金が出てしまうのでしょう。

「何故自分はクリスチャンにしていただいていないのか?」
ではなく、すでに十字架によってすべての人がしていただいているのですが、ただそれを認めないだけのようです。
ちょうど、恩赦で赦していただき、監獄の扉が開いたのに、出て行こうとしないだけのように、かな。
私はただ、あり がとうございますと言って、出させていただいただけです。
だから感謝なのです!

主の恵み - 東江公人

2007/12/20 (Thu) 21:59:41

私が生まれたのは岡山の小さな田舎の村。港のすぐ隣と言う環境でした。

現在その村の人口は250名ぐらいだと思われます。
当然、教会というものもなくキリスト的なものも何一つとしてない。宗教的なものとしては神社があるくらいのところなのです。

そう言う村から叔母が救われ、それが私に伝わって父も病床の中洗礼を受けた。
17年ほど前になるが、神学生の頃、奉仕をすることが決まった教会があった。そこに何と自分の田舎出身の役員さんがおられた。残念ながら、事情があり別の教会で奉仕の依頼がありその教会は1回だけだったが…

まあ、私が知っているだけで250名の全くキリスト教と無縁と思われる村から少なくとも4名のクリスチャンが起こされたいる主の不思議さを思ってい ます。

そう!主の恵み - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 22:03:26

おや、東江さん。
さっそく私の励ましが効いたようですね!

そうです。日本人が救われるということは、きっと、宝くじに当たるより難しいのに、勿論、それ以上のものなのですから!
しかも東江さんの救われ方は、250名の、キリスト教とは全く関係のない、田舎の村から救われたのですから、まさに奇跡、神様以外はお出来になりませんね!
そういう私自身、岩手の山猿だったわけですから(そう言えばずぶの素人さん!どうしましたか。生きていらっしゃいますか!)、もっと不思議です。あり得ないことです。友人も、女房の尻に敷かれているだけだろうと、未だに疑っています。
パーセンテージはともかく、東江さんや私だけでも十分不思議です。
それが私たちの神様なのですから、どうぞ� �ち込まない頑張って下さい!!

恐れるもの なにもなし‥‥

明日の準備 - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 21:55:49

明日、クリスマス・プログラムのために飾り付けがあります。
皆さんが集まって来るのは午後で、2,3時間のことですが(それで十分に飾り付けは出来ます)、その準備ためには大分時間がかかります。
みんなで一緒にやるのは楽しいことですが、そのための準備は案外大変で、誰にでも出来るというわけではありません(むしろこちらの方に力量は問われます)。

高校時代、おそば屋をやっている友だちがいて、泊まりがけで遊びに行ったことが何度もあります(学生時代のよい想い出です)。私はお蕎麦が好きだったので、そこで特別に作っていただくお蕎麦が楽しみでした。
普段は勿論、客として普通にお店へ行って食べるのですが、注文をして、だいたい10分ぐらいもすれば美味しいお蕎麦が出てき ます。
しかし、その友だちに家に泊まりに行って見ると、開店が午前11時なのに、なんと、夜中の3時にはみんな起きて仕事をしてるではありませんか!
最初なにをしているのか分からず、「お店、11時からじゃないの」と聞くと「そうだよ。でもそのためには、仕込みって言うんだけど、準備しないと間に合わないんだよ」と言うのです。
私は本当にびっくりしてしまいました!
多分、それが私が最初に出会った世間で、間近に見たプロの世界だったのでしょう。
美味しいお蕎麦を簡単にいただくためには、これほどの準備がいるものです。さらに、蕎麦を育てるところから考えると‥‥ 、頭が下がります。
うちの教会の聖歌隊指揮者はピアニストでもあるのですが、時々演奏会があります。大変お上手なの� ��(半端ではありませんよ!)、特に準備や練習などいらないようにも思うのですが、たった1時間、2時間ぐらいの演奏のため、何時間も何時間も準備をし、練習しているようです。凄いことです。学校時代から考えると‥‥ 。
プロになればなるほど、その時間と準備、費やすエネルギーと集中力は驚くべきものです。

私は、牧師としも素人のようなものですが、出来ることは、やめないことと、とにかく時間をかけることぐらいです。これでもしなければとてもついて行けません。
多分信徒さんはあまりご存じないと思いますが、よい牧師先生たちは、説教は勿論、様々な教会行事のために、相当な時間とエネルギーを費やされていると思います(今はもう私には無理ですが、徹夜することも多いと思います)。でも、な んとなくそう見えないところがいいところかなー。

と言うわけで、今日は明日の準備で大忙し、というところです。
ただし、忙しい、忙しいという人に、本当に大事なことに忙しい人はいないらしいのですが‥‥ 。
私が忙しいというのにも、注意、注意が必要ですね!

Re: 明日の準備 - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 21:57:10

あ、そう言えば、今度の日曜日、「朱基徹牧師記念会」の準備も今日しておかないと間に合わない!
ああ、プログラムと讃美歌のの印刷、そうだアンケート用紙も作らないと‥‥ 、大変だ!
忘れているお気楽な牧師でした、では済まないぞ!

沖縄からのぼやき - 東江公人

2007/12/20 (Thu) 21:51:24

今日は暑いなーと思っていたら、沖縄の最高気温が26.1度でした。

うーん。暑いはずだ。家内が、「蚊取り線香をつけて」と言う始末。

こういう日もあるんだなー。そうそう。今日、車ではクーラーをつけたものなー。

こういう日もあるのですね。クリスマス気分が出ないなー。

吉川からのぼやき - 東江公人

2007/12/20 (Thu) 21:53:42

確かに、季節感というのは大事でしょうが、毎朝寒いこちらから見ると、少しうらやましいかも知れません。
原油高はとどまるところを知らず、私のような庶民の生活を根底から脅かします。
4,5年前には600円ぐらいだった灯油は、一缶(18リットル)なんと1800円にもなりました!
26度は勿論、20度だって本当にありがたい‥‥ 。
年金暮らしのお年寄りはどうしているんだろうと、心配になります。
ゴキブリがいてもいいいから、暖かい方がいい‥‥ 。

ガソリンは155円/l、交通手段が車しかない田舎では、訪問が仕事の牧師には大きな傷手です。

でも、生きていますから、それだけでも幸せです!
クリスマスも、気分が出ようと出まいと、迎えることが出来るのですか ら!


"カルマ"とは何です

東江さん、色々辛いことも背景にあるのだと思いますが(生きていますので)、ぜひ、ぼやかずに頑張ってください。いつも感謝してお祈りしていますよ。
後ほど、クリスマス・カードをお送りいたしましょう(自作のオリジナルですよ)。

これをご覧の方で、ご希望の方はお申し込みくださればお送りしましょう(すいません、大したものではありませんが‥‥ )。
う、誰もいない‥‥ 、
そうでしょうね!

レバノン杉は松だった? - マルタ

2007/12/20 (Thu) 21:47:12

寺田牧師先生、東江牧師先生、皆さん。お早うございます。
マルタです。

寺田牧師先生の愛犬コロちゃんのお話も、クリスマスプレゼントのお話もちょっぴり残念だけど、家の灯りの様な、蝋燭の灯りの様なとても暖かなお話でした。
一生懸命子供の話を聴いてくれて、叱ってくれる親は有り難いですね。歳を重ねないと気付かないのが申し訳ないと思いますが…。
さて、今日は、レバノン杉のお話。
寺田牧師先生や東江牧師先生は、牧師先生目指して学ばれている時に、すでに耳にしておられる事かも知れませんが、レバノン杉はよく、旧約聖書に登場する針葉樹です。
最近、神様・イエス様を伝えるラジオ番組で知ったのですが、実は、杉と言っても、分類上は松なのだそうです。
何でも、名前の とおり、見たとおりでしかない!。と信じて生きて来た私、マルタはびっくり!
実際と見た目とは違う事が、この世には沢山あるのだなぁと思いました。
このレバノン杉は、日本にも植わっているそうです。場所は、東京は新宿御苑だそうです。見たい!聴きたい!がとても強い私、マルタはただいま、その日を何時にしようか!と思っている所です。
時々、電車の窓から看板が見えるけど、あの場所でいいのかなぁ…。1度でいいからこの目で見たいです。

レバノン杉は松だった! - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 21:49:09

ああ、なるほど!
レバノン杉は松の木でしたか‥‥ 。
そうですか。知りませんでした。

なかなか鋭いご指摘と視点ですね。
本当に、私たち、思いこみ、確かめもせず、自分の感情を正しいと錯覚して他人を見てしまうことも多いのでしょう。教えられました。
そんな時、大概自分を棚に上げてしまっていることも、私の場合多いようです。

残念ながら、私はマルタさんほど向学心が強くないようで、そこまでは行ってみたいとは思いませんが、でも、チャンスがあったら行ってみましょうか。

Graceさんもそうですが、向学心、向上心、そして好奇心が強いことは大変大事なことで、実は、人生の豊かさそのものです。
このサイト、知識人の東江さんもそうですし、この頃またお引っ込みになっ� ��エキストラさんなども、並々ならぬ好奇心の強い方々がお好みのようです。
ホストの私はたじたじといったところです。

さらなる好奇心を楽しみにしています!

キリストのからだ - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 21:45:15

月曜日に完成したクリスマス・イルミネーションは、昨日の夜5時から、今朝の5時まで、暗やみの中に輝いていました。毎年のこととはいえ、あらためてそれを眺めていると、今年も巡り来るクリスマス、そして新しい年への期待と感謝がわき上がって来ます!

今日の水曜区域では、今度の日曜日、16日の午後1時半から行われる、子どもクリスマス祝会準備の相談と(今日の区域の皆さんはみんな教会学校の先生たちです!)、しばらくお休みをしている子どもたちに、お誘いのハガキを書いてくださったりします。これもまた感謝なことです。

子どもたちが特に楽しみにしているのは、勿論、みんなで作る手作りのケーキです。
見た目はともかく、わいわいがやがや言いながら、自分たちの手で作ったケー キの味は、また格別美味しいものです。今年は、どうやらよいいちごが手に入ったようですよ!ぜひ食べに来て下さい!
でも、なんでもそうですが、誰かが楽しい思いをするには、誰かが一生懸命準備をしていてくれるからです。
その準備と相談を、今日の区域の皆さんはなさってくださるのですね。

金曜日の午後には、これから続いていく様々なクリスマス・プログラムのための飾り付けがあります。ここにもまた、何人かの方々がいらして、一緒に飾ってくださいます。さー、今年はどんなものが出来るのか、本当に楽しみです!

ちらしの配布も始まったのですが、配布もご苦労さまですが、そのためには誰かが印刷したり揃えたり、必ず準備がいるものです。すでに、ちらし配布は、配る前から始まっているのです� ��

クリスマスには、聖歌隊の皆さんも大活躍ですが、ただその時集まって歌うのではありません。
当然ながら、まず誰かが曲を決め、楽譜を用意し、集まって練習するのです。それも、神様がお喜びくださるように歌うには、半端な練習ではありません。メンバーは、指揮者、伴奏者を含め、14,5人いらっしゃるのですが、毎週の礼拝だけではなく、本当によく練習して捧げていてくださいます。
これもまた楽しみです。お聴きいただく価値のあるものです。

これ以外にも、食事の準備やお掃除、お花、片付け、修理など、目には見えにくいのですが、気持ちよく活動が出来るための働きは、少なくとも教会には不可欠です。家で必要なことはすべて必要です。

ここにあげられていることは、本当に感謝なことで� ��が、私たちの教会でずっと行われて来たことです。
継続して行くことは、ことばで言うほど簡単なことではないようです。

今年のクリスマスも、いいえ、今年一年も、こうしたお働きによって守られて来ました。
私は、ただそれを感謝しながら見ていればよいという、幸いな牧師でした!
まさしく、教会はキリストのからだです。

神様は、それこそあらゆるご準備をもって、このクリスマスをご計画なさったのですね。
本当に「熱心」でなければ出来ないことでした。
主に感謝します!

クリスマスの光 - 寺田祐一牧師

2007/12/20 (Thu) 21:43:51

私たちの教会では、毎年外の木にクリスマスイルミネーションを飾っています。
毎年、Y兄がなさってくださいます。
いつもお忙しいお仕事の合間をぬってのご奉仕ですので、本当に大変です。
Y兄も気にしておられて、少し遅くなりましたが、今年も出来ました!
感謝します!
暗くてあまり写りはよくありませんが、写真を掲載しておきます。
夕方5時から朝の5時まで輝いていますよ!
お近くの方は、是非ご覧ください!

いと高きところに  - 寺田祐一牧師

2007/12/11 (Tue) 08:20:10

 いと高きところに 栄光が 神にあるように、
       地の上に 平和が みこころにかなう人々にあるように

 今朝の詩篇、29篇の結論でした。
 25篇あたりから、「ダビデによる」との表題によって、少し、いや、かなり苦しいダビデの叫びが続いていました。様々に、ダビデを苦しめる人々、状況、その中で、いくら叫んでも、なかなかお答えくださらない神様‥‥ 。
 人への思い、閉ざされた道への思い、最後は神様を誉め讃えて終わるとしても、そうとう厳しい状況の中での歌が続きました。
 
 しかし、29篇は「ダビデの賛美」と表題が変わり、その調子は一変します。
 鳴り響く主の声である雷鳴のとどろきの中、それまであったぐずぐずした思いはどこかへ吹き飛ん でしまい、ただ神様の恐るべき御存在のみ前で、自然の中に現れる力に圧倒されてしまい、ただもう主を賛美し、その栄光を崇めています。
 特にこの世のごちゃごちゃした人間関係などまったく意味のないものとなり、すっかり解放されてしまいます。
 ダビデの賛美、祈りの結果でした!

 29篇は、こう始まり、締めくくられています。

  29:1 力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。

   29:11 主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。

 12月は、雷や地震どころか、この地球をもっとも揺り動かした神様のお力が現れた時でした!
 言うまでもなくイエス様の御降誕です!

 この事実に接する時、私たちのこころにも勿論、驚きと感謝、力がわき上がって来ます!

 しかしそれが、「人知れず、静かに‥‥」と言うのが、真の神様のこころにくいところです。

 いそがしくて、雑音と人の怒鳴り声しか聞こえないような12月、こころを静かにして、天の軍勢の賛美に耳を傾けてみませんか。
 美しくクリアなのですが、まるで雷鳴のように響く大合唱が聞こえてくるはずです。

 いと高きところに 栄光が 神にあるように、
       � �の上に 平和が みこころにかなう人々にあるように

クリスマスの思い出 - マルタ

2007/12/10 (Mon) 22:06:28

 寺田牧師先生、東江牧師先生今晩は。
 マルタです。 
 クリスマスまでにはまだ、日がありますが、私マルタの心に残るクリスマスの思い出を書いてみたいと思います。

 その1…小さい頃の写真にも残っているのですが、3歳頃?家にも赤いコートに赤い帽子、手にはあの大きな袋を抱えてサンタクロースがやってきたのです。少し、覚えているのですが、女サンタクロースだったので、どこかで?と思いながら、喜んでお迎えしたのでした。
 『叔母でした。』その後は、皆で記念写真を撮り、楽しく過ごしたのでした。

 その2…次は、小学生の時、私マルタは、親元を離れ、約5年程寮生活をしていました。その途中からの記憶です。
 病院等もそうですが、季節毎に様々なプログラムがあ りました。ここにもサンタクロースが登場!メリークリスマス!と叫びつつ、白い大きな袋からお菓子の長靴が子供達に手渡され、皆大喜び!ケーキも普通のとアイスケーキも食べました。
 私は、ここでも『あ!園長先生だ!』と思いつつ、楽しく過ごしたのでした。
 その時に数曲の讃美歌を歌いましたが、『きよしこの夜』と共に有名な『諸人こぞりて』を聴くと思い出す事があります。この讃美歌の歌詞、あの頃は、『モーロビトコゾリテー♪』と聞こえていました。理由は、文語体なる言葉を知らなかったからです。何時も?!…。でした。
 けれども、私マルタにも『諸人こぞりて』と聞こえる様になる日がずっと後に来たのでした。
 それは…?聖書を手に取り、読む様になった途端にでした。マルタにとっ� �は、嬉しい日でした。

 そして、最後にプレゼントの思い出、やはり寮生活をしていた時の事、受け持ちの職員さんが1人1人にサンタクロースに何を貰いたいか聞いてくれました。
 私もある年には、サンリオのハローキティの日記帳が欲しいと頼みました。
 すると…。12月25日の朝、起きてみるとちゃんとそれが置いてありました。
 でも、年長さん達は冷めていて、夜中布団を頭からすっぽり被り、起きていて誰がプレゼントを置いていくか隙間から息を潜めて見ていました。私もその1人でした。
 もう、遠い昔の日のお話、朝、皆眠かったかどうか忘れました。でも、断片的ながら楽しかった思い出として、今でも心に深く残っています。
 まとまりのないお話になりましたが、幾つかクリスマス� ��楽しかった思い出を書いてみました。
 家でも、昔、もみの木があり、母と子供達で飾り付けをしました。
 神様を信じている家族ではありませんが、大人達は一生懸命子供達を喜ばせてくれました。

Re: クリスマスの思い出 - 寺田祐一牧師

2007/12/11 (Tue) 07:51:36

 マルタさん、よい文章ですね!

 そう、子どものころのクリスマスの想い出、様々で(クリスマスどころではなかった方もいらっしゃるでしょう)、ホワイト・クリスマスのように、やはり懐かしい、楽しい想い出です。
 勿論、我が家もクリスチャンホームではありませんでしたが、兄弟が3人いて、毎年クリスマスが来るのを心待ちにしていました。
 今では考えられないことですが(自然保護から言ってっですが)、近くの山から、もみの木に似た木を切り出して来て、火鉢に植え、クリスマスツリーを作ったことを覚えています。
 岩手の山の中、12月、勿論深い雪に覆われ、一面が銀世界でしたが、木を切り出すなど、何とも思いませんでした。
 しかし、もう50年も前、ツリーの飾りは、� ��に手作りというわけではなく、ちゃんときれいなものがあったのですが、あんな昔、あんな田舎で‥‥ 、今から思うと、その方が不思議です。
 すでにクリスマスは、日本中に広まっていたのですね。こちらの方が不思議かなー。

 確か小学校3年生ぐらいの時であったと思いますが、クリスマスの朝、目が覚めて見ると、枕元にきれいな、小さなものでしたが、おもちゃの弓矢がおいてありました。
 とてもうれしかったことを思い出すのですが、それで妹たちを撃って遊んでいると、それを見た父が、人に向けるものではないと、すぐさま取り上げられてしまいました‥‥ 。あえなく‥‥ 。
 だから覚えているのかなー。
 大変残念な想い出ですが、でもきっと、何かを教わったクリスマスでもあったので� �ょう。
 おもちゃであっても、ピストルや弓矢などを人に向けることが出来なくなりました。

 色々なプレゼントがあるのですね!

とーびらー - 東江公人

2007/12/09 (Sun) 22:26:51

沖縄からのクイズ。
冬になるといなくなるものはなーんだ。

答え。色々あるかもしれませんが、とーびらー。
つまりゴキブリ。沖縄のゴキブリは寒さに弱く20度以下になると動けなくなるようです。

トービラーとは沖縄の方言で「飛んでくる奴」とでも言うのでしょうか、沖縄のゴキブリは人めがけて飛んでくるのです。大きな物で5センチに成長します。
 沖縄に夏くる方はご用心。

今回はそのトービラーではなく、違う種類のもの。

クチキゴキブリ。『ゴキブリなんてみんな同じさ』と言わないでください。

このクチキ。家ゴキではなく屋外に住んでいらっしゃる。食べ物は木。夫婦で行動し、朽ちかけた倒木を見つけると木の中にもぐり込んでひたすら木を食べる森の掃除やさん。� �かなかたいしたゴキブリでゴキブリの中では見上げた存在です。

もっと感動したことがあります。これだという木を見つけるとお互いの羽を囓りあうのだそうです。もう飛んで移動しなくていいという合理的な理由かもしれません。また木にもぐり込むために羽はじゃまなのかもしれません。しかし、なんだか羽を囓って「俺達はここで頑張ろうね」と夫婦で決意してるようにも思われ感心させられます。浮ついた気持ちで生きるなよ!!とゴキブリに励まされ叱責されているようで思わず、ここに書き込んでしまいました。

ゴキブリと私 - 寺田祐一牧師

2007/12/10 (Mon) 07:43:57

 とーびらー、そう、ゴキブリですか‥‥
 
 「クチキゴキブリ。『ゴキブリなんてみんな同じさ』と言わないでください。」と言われても‥‥
 
 理由ははっきり分かりませんが、ゴキブリはだめです。
 かたち、色、動きのどれをとっても受け入れられる部分も余地も、私にはないようですよ。
 ちょうど、どんなに美味しくてもミョウガがだめなように、ゴキブリはだめです。
 嫌だと言うより、受け付けない、見ただけで恐怖、鳥肌が立ってしまうのです。
 以前、ええ、5センチもある、脂ぎって黒光りしたゴキブリが飛んできて、私の顔にぶつかり、払っても払ってもからだのあちこちにまとわりついたことがありました。
 今思い出しても寒気がするのですが、一度、払う指に触れ た瞬間、私は気を失って倒れそうになったほどです。その日は一日中脂汗が流れ、寒気が消えませんでした。
 そんなゴキブリ、クチキでろうがカチキであろうが、ゴキブリはだめです。

 しかし、ちょっと考えてみました。
 神様にとって、私はどう感じられているのだろう。
 まさかゴキブリのようではないだろう‥‥ ね。
 でももしかしたら、いやいや、もしかしたらではなく、ゴキブリどころではない、それ以下も以下では‥‥  ある先生は、昔日本でも、どこにでもあった、汲み取り式のトイレの中でうごめくウジ虫以下だとおっしゃっていました(夏の暑い時期、大繁殖していました)。
 そうかどうかは分かりませんが、そん中に、神様は人となられてお降りになったのだと。‥‥ 。
 そう か、家畜小屋どころか、トイレでうごめくウジ虫の中‥‥ 、まさしくそれが人間世界だったのですね。
 
 人間の罪の穢れ、汚さ、その中にどっぷり浸かっている者には分からないものなのでしょう。
 でももし、そんな中にイエス様が同じようになってお生まれくださったのだとしたら‥‥ 。

 
 それがクリスマスなのですね。

Re: とーびらー - 東江公人

2007/12/10 (Mon) 12:33:33

ゴキブリの話をしてしまったせいでなんだか凄いことになってしまいました。ついにウジまで出てきてしまった。

しかし、イエス様が罪人の世界に来てくださった臨場感は伝わります。

福音書を見るならば、イエス様の周りには敵ばかりが存在します。群衆は最初はイエス様の奇跡に感動してついていきました。しかし、自分たちを制圧しているローマを倒そうしないイエス様に失望して怒りを燃やします。何と最後は無頼漢のバラバを選んでしまう始末です。宗教指導者のパリサイ人もイエス様の教えに反発します。自分達の宗教の破壊者と思ったからです。
裕福な人たちもイエスから離れます。その当時裕福な者は神に祝福された者と考えられていましたが、イエス様はそれに対して真っ向から反対されたから です。

 イエス様の周りは敵だらけだったのです。それは光がやって来て闇がいっそうはっきりする光景でしょう。

自分が闇であることがわからなった者達の世界に光がやってきたことで、自らの闇が見えイエス様を憎んだという世界が描かれています。

クリスマスのお話 - 寺田祐一牧師

2007/12/10 (Mon) 08:43:03

 昨日は、日中暖かったのですが、夕方、急に冷たくなっていました。
 心配していましたが、今朝はそれほどでもなく、少しほっとしています。
 人一倍寒さには弱い私としては(実は暑さにも弱いのですが)、助かりました。

 待降節も第二週目で、礼拝も、クリスマスのメッセージが中心となっていますが、昨日は初めて旧約聖書の「ミカ書」というところからお話しました。7章からなる短い預言書で、厚い旧約の中から探すのは案外難しい書でもありました。
 22年間お話していて、一度もなかったというのが不思議ですが、特別理由はなく、たまたまそうなったと言う他はありません。
 では、なぜミカ書であったのかというと、そこにクリスマスのメッセージ、預言があったからです。
� �22年間、このクリスマスの時期は、毎年、少なくとも5回はクリスマスのお話をしなければなりませんでした。簡単に計算してももう100回以上になるわけです。お聴きくださる方々のためにも、なるべく新しいお話をと心がけてはいるのですが、100回もお話をしていると‥‥ (実際には100回以上でしょうね)、なかなか難しいものです。
 毎年苦しむのですが(牧師にとってはクルシミマスかなー)、今年は、ふとこの「ミカ書」が浮かんだのです! そういえば、確か、ミカ書からは一度も話したことはなかったなーと。
 説教自体は、一応お話はしたのですが、初めてと言うこともあって、正直なところ、気持ちだけが先行してしまい(私の場合、その失敗が多い)、あまりうまくまとまりませんでした。
 ただ、どうしてミカ書からはお話したことがなかったんだろうかと、改めて考えてみると、ああ、神様が、いずれネタの切れる牧師を見越して備えて下さっていたんだと、うまくは出来なかったにもかかわらず感謝しました! そうだったんだと!
 
5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
5:3 それゆえ、産婦が子を産む時まで、彼らはそのままにしておかれる。彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる。
5:4 彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。

 これがそのミカ書の箇所ですが、イエス様が、実際にベツレヘムでお生まれになる7,800年ほど前に、モレシェテ・ガドでお百姓さんをしていたミカという人に降った神様からの預言でした。
 詳しいことは、明日にでもその説教の要約を「説教」のところへ掲載しておきます。
 
 救い主がお生まれになる。
 その通りに、2000年前、言われた通りの場所、ユダヤのベツレヘムで成就(実現)したわけです。
 ミカとは同時代の預言者であった、あの有名なイザヤが、それを補完するかのように、「万軍の主の熱心がこれを成し遂げられる」と、同じく預言して� �るのです。
 なるほどー、万軍の主の熱心かー。
 イエス様の御降誕と十字架は、まさに、神様にとっても大変なことだったんだなーと、改めて知らされたところでした(妙な言い方ですいません)。
 こちらもまた、クリスマスの恵みについて改めて想いを馳せ、精一杯喜んでお待ちしたいと‥‥ 。
 説教の後に賛美した聖歌 124番の歌詞、1番はこんな詩でした。

 しずかにねむれる小さき村 ベツレヘムよ いまながうまやに
 おこれることをなれは知らず みたみののぞみし 主のみあれぞ

 ところで、クリスマスの説教は来週も再来週も、ああ、まだ24日のイブ礼拝にもあるぞ!
 どうすればいいんだろう‥‥ 。
 おゆだねをするばかりです。
 主よ お与えください!
 � ��会の皆さん、祈って下さいね!

クリスマス・ツリー、もみの木 - Grace

2007/12/08 (Sat) 15:45:38

 みなさんこんにちわ。
 今日の書き込みは、もみの木がテーマです。
 今年、教会に本物のもみの木を置いて、飾りたいなーと思い、あらゆる場所に問い合わせてみました。
 すると、ひとつの場所で「ドイツトーヒー」という名前にあたり、これが本来のもみの木の名前だそうです。
 日本人がこれを見て、日本にあるウラジロモミに似ているから、もみの木となったそうです。
 また、私は自然の摂理を知らないなーと思ったのは、このドイツトーヒー、一年に0、5mくらい伸び、おおよそ6メートルくらいになるそうです。
 私はアホにも、毎年クリスマスに、中で飾ったりしたいので、6mまでなってしまうのは困りますといったら、植木鉢で買うと、盆栽のように根が制限されてしまうので伸びな いと教えていただきました。
 大自然の森や山に生えたらよくのだ育つそうです。
 そうですよね。
 あたりまえです。
 あと、もみの木は季節ものだから、根っこのない切りっぱなしも売られていると聞いてびっくりしました。
 クリスマスが過ぎたら、それをまた店に返しに行くと、その値段の商品券と引き替えてくれるそうです。
 捨てないで、また自然に帰すためだそうです。
 私は、教会にも、もみの木を植えて育て、毎年同じのに飾ったらいいと思うですが、実際はどうなんでしょうか?

どうなんでしょうね? - 寺田祐一牧師

2007/12/08 (Sat) 16:06:44

 なるほど。

 「私は、教会にも、もみの木を植えて育て、毎年同じのに飾ったらいいと思うですが、実際はどうなんでしょうか?」

 と言っても、私は植物には全くの素人だし、どうなんでしょうね?
 多分、それだけの庭があって、それを愛情をもって育ててくれる人がいればよいと思うのですが‥‥ 。
 この、「愛情をもって」と言うところがミソでしょう。
 自分の家とは違うので、そうすればよいとは言っても、最後まで責任をもって管理するのは難しいようですよ。
 以前、子どものころの話ですが、一度、犬を拾って帰ってきたことがあったのですが、母にすごく叱られたことがありました。「飼うのはいいけど、うんちや食事、毎日誰が面倒を見るの。それをちゃんとやると約束をし たらいいよ」と。
 そこで私は当然ですが、勢いよく「勿論だよ。当たり前じゃないか!」と啖呵を切って許してもらいました。
 親なんて、本当に甘くて馬鹿なものですね。そんな子どものいい加減な話を信じちゃって。

 勿論、私が面倒を見たのは一週間もありませんでした。
 ではそのあとどうなったのか。
 当然、母が死ぬまで面倒を見ていたのです。
 犬も(「確かコロと言いました)母が一番好きだったようです。しっぽの振り方が違ってましたね。

 でも多分、母は知っていたのでしょう、そうなることは‥‥ 。
 子どもの喜ぶ顔が見たかったのですね。

 私は母ではなく牧師なので‥‥ 、Graceさんが責任を持って面倒を見てくださるならば‥‥ 。
 どうなんでしょうね?

� ��ところでGraceさん、またまたもみの木豆知識、ありがとうございます。探求心旺盛ですね!
 なんだか東江さんと似ています。
 いずれ深い知識人になるんでしょうか。
 楽しみです!

Re: クリスマス・ツー、もみの木 - 東江公人

2007/12/08 (Sat) 17:39:11

クリスマスツリーの起源はドイツのようです。8世紀の初め、イギリス人の修道僧ボニファティウスという人物が、ドイツ宣教につかわされます。
 その当時のドイツは異教の地であり、野蛮な地域であったのです。ドイツの人々はゲルマンの神話を信じていて樹木から男と女が作られたと信じていました。そのため森は神聖視され、日本で言う御神木がまつられていたのです。そしてその木に人間犠牲もささげらていたようです。そう言う風習をやめさせるために、
 ボニファティウスは幼子イエス様に贈り物をささげるというキリスト教的意味づけをして異教の神から主イエス様を見上げるようにとドイツの人々を導いたようです。その様な苦労の結果、ドイツから16世紀、宗教改革の代表ルターのような人物か起 こったということです。
 クリスマスツリーの中に宣教の忍耐を見る思いがします。

ダビデの詩 - 寺田祐一牧師

2007/12/08 (Sat) 07:56:35

 私はどちらかというと、子どもと過ごすのは苦手なほうでしょう。
 でも、教会の元気な子どもたちを見るのは大好きです。
 人数は少ないとはいえ、ひとり、大人の10人分ぐらいあります!
 教会の中に、元気な子どもたちの叫び声や走り回る足音が響くのはよいものです。

 いずれまた必ず、教会は子どもたちで溢れることでしょう!
 何しろ、うちの教会学校の先生たちは筋金入りです。
 22年の歳月の中、確かに、私と一緒に年はとりましたが、とにかく守り続けて来てくださいまし!
 それだけで十分で、いずれ積み重ねられた祈りやご奉仕、犠牲と涙が無駄になることはありません。
 コップに満たされる水が、やがて、溢れて流れ出すように、その時は来ます!
 私はそ� �信じているし、神様はちゃんとご覧になっています。

 今朝の詩篇は27篇でしたが、こんな一節がありました。

 27:13 ああ、私に、生ける者の地で主のいつくしみを見ることが信じられなかったなら。‥‥

 もし、神様がいらっしゃることを知らず、その慈しみを信じることが出来なかったら、すべて自分の力と感だけで戦わなければならなかったとしたら‥‥ 。私は勿論のこと、教会学校の先生たちも、そしてこの詩篇作者ダビデだって出来なかったはずです。
 しかし、神様はいらっしゃり、必ずお答えくださることを、私は知っている!
 だからこそ、確信をもってこう言うことが出来る! いや、誉め讃えることが出来る!

 27:14 待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。

 いい詩です。

 不思議な神様、イエス様の御降誕ももうまもなくです。
 忙しさの中ですが、今日もこころ平和に、そして明日の準備をしてこう‥‥ 。

 昨日、クリスマス月間のちらし印刷が出来ましたので、今日の午後から配布予定です。
 マルタさん、お褒めいただきありがとうございます。うれしいです。
 あのちらしが配られます。
 すべての人にとはいかないのですが、待っている人の手に届きますようにと祈りつつ‥‥ 。

感動しました! - マルタ

2007/12/07 (Fri) 12:39:09

寺田牧師先生。東江牧師先生。お早うございます。
マルタです。
お知らせコーナーの寺田牧師先生制作クリスマスポスター拝見しました!。
感動しました!。
構図と言い、配色と言い、とても素晴らしいです!。
寺田牧師先生、どうぞ自信をお持ち下さい!。常に神様と共に前進あるのみです!。私マルタは、今後も楽しみにしております!。
東江牧師先生、先日の小学校の訪問は、読み聞かせではなく、私のこれまでの歩みを20分程ですが、今回は、約100名の生徒を前にお話しました。
何時も皆、一生懸命耳を傾けてくれます。
数年前より、私の住んでいる地域内の小・中学校から依頼があり、小さく、未熟ではありますが、させて頂いているのです。
とても緊張するタイプなので、そ� ��度毎に上達と言う訳にはいきませんが、上達がない分、色々気付きがあり、指摘される事も素直に受け入られます。私の体力や、これからの学校側の方針で色々に変化があると思いますが、続けられる限り、させて頂きたいと考えています。福音を語る事は出来ませんが、子供とどう関わっていいのか、常に心に迷いを覚えている私には、とても良い場を与えられていると思っています。
給食も一緒に戴きますが、子供達と共に過ごす事の楽しさを知り始めている所です。

マルタさん、凄い! - 寺田祐一牧師

2007/12/08 (Sat) 07:54:33

 凄いですね、マルタさん!
 そうですか、そんなお仕事を。

 いずれきっと、実を結ぶことでしょう。
 お話と文章は、話せば話すほど、書けば書くほど磨かれて行くと思います。
 これからもチャンスを逃さずにお話して下さい。福音を直接語らなくても、マルタさんのお話には、きっとその恵みが溢れていることでしょう!

 書き込みも是非、楽しみにしていますよ!

感動しました!   マルタ 

2007/12/07 12:39


寺田牧師先生。東江牧師先生。お早うございます。
マルタです。
お知らせコーナーの寺田牧師先生制作クリスマスポスター拝見しました!。
感動しました!。
構図と言い、配色と言い、とても素晴らしいです!。
寺田牧師先生、どうぞ自信をお持ち下さい!。常に神様と共に前進あるのみです!。私マルタは、今後も楽しみにしております!。
東江牧師先生、先日の小学校の訪問は、読み聞かせではなく、私のこれまでの歩みを20分程ですが、今回は、約100名の生徒を前にお話しました。
何時も皆、一生懸命耳を傾けてくれます。
数年前より、私の住んでいる地域内の小・中学校から依頼があり、小さく、未熟ではありますが、させて頂いているのです。
とても緊張するタイプなので、その度毎に上達と言う訳にはいきませんが、上達がない分、色々気付きがあり、指摘される事も素直に受け入られます。私の体力や、これからの学校側の方針で色々に変化があると思いますが、続けられる限り、させて頂きたいと考えています。福音を語る事は出来ませんが、子供とどう関わっていいのか、常に心に迷いを覚えている私には、とても良い場を与えられていると思っています。
給食も一緒に戴きますが、子供達と共に過ごす事の楽しさを知り始めている所です。

Re: 忙しかった1週間東江公人

2007/12/06 12:57

マルタさんは小学校に絵本の読みきかせか何かのボランティアをされているのかな。

私も以前、娘が小学校の時にやった思い出があります。
6月23日は沖縄戦終結の記念日。その頃は、はだしのゲンとかアンネ・フランクの紙芝居などをしました。学校なので直接伝道に関するものではできませんでしたが、キリスト教的な雰囲気を持ったものはできるでしょうね。

惜しいことをしました。娘が中学になった頃やめてしまいました。ずっと続けていれば良かった。

教会では土曜子供会で紙芝居を読んでいますが…

こども達紙芝居、好きですね。

今日は無題! - 寺田祐一牧師

2007/12/07 (Fri) 08:00:10

 今日は午前中から、教会の回りにある木を利用しての、クリスマス・イルミネーションの飾り付けをします。
 毎年この時期になると、電気のお仕事をなさっているひとりの兄弟が、仕事の合間を縫って、重荷(自分の責任と感じて)を持ってなさってくださるのです。ほぼ一日仕事で、いつも寒風吹きすさぶ冷たいところで行われている印象があります。実際、去年は寒かった!
 さて、今日の天候は‥‥ 、寒くなければよいのですが。
 夜にはまた、飾り付けたイルミネーションによって、白い教会が浮かび上がって来るでしょう。
 教会のイルミネーションは、基本的に白色で、最近増えている、ちょっと派手な色の飾り付けとは違う清楚な感じがします。教会らしいかな。
 そうだ、なさってくだ さるY兄弟のために、何かお昼を作ってあげなければ‥‥ 。
 出来上がったら写真をアップロードします!
 お楽しみに!

 あ、それから今日の午後は、明日から始まるクリスマスのちらし配布のため、印刷をしなければ‥‥ 、誰か手伝いに来てくれるかな。両面印刷をするので、やはりちょっと人手が必要なのです。
 セットしたり、紙を揃えたり、トラブルに対処したり、ひとりだと混乱してしまい、結構時間がかかったりするのです。
 まあ、ずっと印刷機にかかり切りというわけではありませんので、お茶を飲んだりお話をしたりしながらの楽しい仕事ではあるのですが。
 お知らせのところに印刷するちらしをアップロードしておきましたので、どうぞご覧ください。

 最近の印刷機は非常に性能 がよくて、少し面倒ですが、やろうと思えばひとりでも出来ます。つい何年前にも考えられないことでしたが、きっと、印刷屋さんがお困りのことと思います。
 私は別に機械好きと言うわけではありませんが、素人として出来る範囲では、なるべくよい道具を揃えたいと思う方です。
 特に教会は印刷物がいのちですから、豪華でお金のかかったものというより、内容とデザイン性の優れたものが必要ですね。しかも、多くのかたがたに見ていただきたいので、廉価であることも重要な要素です。
 多くの宣教団が現地で始めるとき、一番最初に準備をするのが、この印刷局です。
 インド宣教の父と呼ばれるウィリアム・カーレーが、そのいのちを削る働きの最中、印刷局を火事で焼失してしまいます。カーレーの落胆� �りは激しく、このまま立ち上がれないのではと思われたほどですが、次の日曜日、カーレーは、天から火が下るような説教をしました。
 ちょうど、それを聴いていた英国の新聞記者がこころ打たれ、その記事に書いて訴えたところ、瞬く間に献金が集まり、僅か数ヶ月で印刷局が再建したというあかしは有名です。
 無論、カーレーの信仰によるのですが、神様がそれを必要とされたので、印刷局は再建されたのです。
 印刷は、それほど大事な教会の働きなのでしょう。そのためには、食を削ってでもよい道具は揃えたいものです。
 印刷機ばかりではなく、最近のドローソフト、デジカメ、スキャナーなど、神様が、貧しい日本の教会のために備えてくださったのではと思いたくなるほど廉価でよく出来ています(中� ��でよいものを探すと、かなり安く揃えられる)。むしろ、それらを使いこなせるかどうかの方が問題でしょうか。ぜひ、「宝の持ち腐れ」にならないようにしたいものです。
 しかしまた、「弘法筆を選ばず」も大事で、道具がないから出来ないといった、本末転倒な議論にならないような注意も必要でしょう。

 なんだか話があちこちに行ってしまい、とりとめのないものなりましたが、やっぱりやりがいのある仕事です。神様の仕事は。

 あ、そう言えば今日は夜フライデー・ナイトもあるんだ、一日いっぱいかー。
 楽しみです!

クリスマス・ポスター寺田祐一牧師

2007/12/06 12:24
ふーん、学校でお話ししたりするんですね!
ご苦労さま!
直接的には福音は語られないでしょうが、きっとよいあかしとなっているのでしょう。
迷うことはありません。とても立派な文章で、教えられています。

ところで、私たちの教会のクリスマスプログラムのポスターを、お知らせのところに掲載しておきました。
すべて私の手作り、オリジナルですよ!
凄いでしょう!
是非ご覧ください。

ほめてもらいたい、愚かな牧師でした‥‥

Re: 祈祷会って面白い? 東江公人

2007/12/06 10:08
マルセリーノ・パンと葡萄酒。私もずーっと前に見た記憶があります。こどもの頃、NHKだったかもしれません。その頃は教会に行っていませんでしたから、よく分かりませんでしたがとてもインパクトのある映画でしたので記憶に残っています。

今にして思えば、あの少年がイエス様にパンと葡萄酒をさし上げるのは、聖餐式が下地ににあります。主が私たちに命のパンと命の血である葡萄酒(十字架の救い)をくださった。そのお方に少年はパンと葡萄酒を差しだす。というユーモアが含まれているように思います。
修道僧が忙しく働いているのですが、主イエス様自身をわすれて忙しくしていることがうまく描かれています。修道僧が見るとこどものいたずらと見えたこともそれはその少年なりに精一杯に主にして いることだったことがうまく描かれています。
悲しいけれど暖かいものが伝わってくる映画ですね。

もう一度ゆっくり見たい映画です。

マルコの福音書10章15節
まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」

祈祷会って面白い! 寺田祐一牧師

2007/12/06 10:07
難しい話も出来るでししょうが、この詩篇を読みながら、なぜか私は「マッチ売りの少女」と「穢れなき悪戯」という映画のマルセリーノを思い出していました。
二人とも、不幸な状況の中、子どものうちに死んでしまいます。

マッチ売りの少女は、売り物のマッチを、寒さで凍える小さな手でこすり、火がともっている僅かなあいだ、クリスマスの幸せな夢を見、やがて消えていく火とともに凍死していくのです。なんてかわいそうな‥‥

マルセリーノは、戦乱で両親を失い、修道院の門に捨てられたところを修道士たちに拾われ、そこで過ごすのですが(厳しい修行のうちある修道士たちの慰めではあった)、お母さんのいない寂しさは隠せず、修道院の屋根裏にあったイエス様の十字架を見つけ、十字架につけ� �れたイエス様と友だちになります。
イエス様がお腹が空いていると思ったマルセリーノは、厨房から「パンと葡萄酒」をこっそりと持ち出し(これが穢れなき悪戯)、イエス様に差し上げるのです。
そんなことが続いているうち、不振に思った修道士のひとりがそっと跡をつけて見ると、その屋根裏でイエス様とお話しているマルセリーノを見つけるのです。
イエス様はマルセリーノに、「何か欲しいものはないか」とたずねます。
するとマルセリーノは、「お母さんに会いたい」と答えました。
「そうか、ではそうしてあげよう」と、イエス様がおっしゃっているうちに、その修道僧が見ている前で、マルセリーノはそのまま天に召されて行くのです。それで、その後その少年は「マルセリーノ・パンと葡萄酒」と呼� �れる聖人になるという、それだけのお話でした。
白黒の画面と相まって、多くの人々の感動を誘ったようです(多分45年ぐらい前、かな‥‥ )。

マルセリーノとマッチ売りの少女に共通することは、幼くして不幸なうちに「死ぬ」ことです。

この物語を見て、ただ単純に悲劇で終わってしまっている、神はどこにいるのかと、怒鳴り散らす人はあまりいないでしょう(そういう人もいると思いますが)。
答えははっきりつかめないのですが、どこか感動するところがあると、多くのかたがたは感じたはずです。
それが死の問題です。
不幸な死というより(確かに不幸なのですが‥‥ )、どこか救われた感じがするのも事実です。
それは、ただ単にそれで終わる死ではないことを感じるからです。行き先が あるのです!
死ですべてが終わる生き方とは、善し悪しではなく、まったくその方向が違って来てしまいます。
49篇はそれがテーマでした。
思いこみと言えばそれまでですが、思いこめない自分は何者なのかと、思い巡らして見ることも悪くはありません。12月なのですから。
死ですべてが終わるというのも、思いこみでなければよいのですが‥‥ 。

ああそれから、祈祷会では、人数こそ少ないのですが、順番に、毎週素晴らしい特別賛美が捧げられます。
昨夜は、私たちの教会の聖歌隊指揮者くーみんさんと、伴奏者の林さんという、最強のコンビがデュエットで捧げてくださいました!凄い!
寒い冬の夜、確かに大変ですが、これをお聴きにいらっしゃるだけでもお得です!
これからクリスマスに� ��けて、たくさんプログラムを用意してあります。お出でになりませんか!

教会って、いいなー。
私は、こころの底からそう思っています。幸せな(おめでたい?)人生です!

祈祷会って面白い? 寺田祐一牧師

2007/12/06 9:13
昨夜、水曜祈祷会では、詩篇49篇をお話ししました。
祈祷会は、夜7時半から9時前ぐらいまで、集まる人も10人前後で多くありませんので、内容は賛美(祈祷会では、最近の新しいゴスペルソングなどをおもに4〜5曲ほど歌っています)とお祈りが中心で(病んでいるかたがたのためになどが多くなります)、説教はなるべく短く簡単にしています(夜ですから)。
ただ、今、祈祷会では詩篇を読んで(歌って)いますが、どんどん興味がわいてきて、つい深入りもしてしまいます。
説教は、ここまでやればよいという線はありませんので、やり始めると切りがなくなる、説教者の独りよがりになることもあります。私は何度も注意されるタイプで、気をつけてはいるのですが、そうなってしまうことも‥‥ 。< br/>49篇は、単純に「死について」ということが出来るでしょう。
興味があると同時に、日本人の感覚としては「縁起でもない」というのがあり、案外注意して話さないと、それこそ躓きの原因にさえなることがあります。そこで、注意しながらお話しました。
死は、金持ち貧乏、貴賤にかかわらず、誰にでも等しく訪れること。この点ではまったくえこひいきがない。
しかし、やがて訪れる死をどう迎え、どう考えるかは、今生きている生き方そのものを決めてしまうという点、青臭いようですが、時に思い起こして考えることも大事だということです。
死を目前にした時でもよいのですが、もしその時違った答えを見出したら‥‥ 、まあ、それでも見出せればよいのですが‥‥ 、もし見出せないまま‥‥ 。

忙 しかった1週間 マルタ

2007/12/06 9:23
寺田牧師先生、東江牧師先生、お早うございます。
マルタです。

私は、ここ数日複雑な気持ちです。寺田牧師先生、先日は間違った事を書いてしまいました。ごめんなさい。きちんと神様のみことばと、人のお話を聴いていない事が判明しました。
それと、東江牧師先生が4つの福音書をこの様に読むと良いと言うアドバイスを頂きました。
読んでいて、的確な表現が見つからないので、こう書き記しますが、何故かそれだけで圧倒されてしまいました。何故だろう?…。でも、有難うございました。
そして、昨日は、お話をする為に、自宅近くの小学校を訪問しました。
5年生の生徒でしたが、お話が終わり、次の行動に移る間際の事、1人の女の子が私と同じ、羊の着ぐるみを着たひよこのキーホルダー� �身に付けていました。女の子の方が一瞬早く気付いたのですが、そこでほんの一言、二言会話が出来たのです。
聞いたら、教会に通っているとの事、とても嬉しく思いました。子供時代に本当の神様を知っているのは、とても大切な事、幸いな事だと思いました。
失敗…。圧倒されてしまった!。嬉しかった!。
ここ数日の私、マルタの気持ちでした。
井伏さんのお名前、本のタイトル、本屋さんで何度も見かけています。まだ、読んだ事が無いので、ぜひ買い求めて読みたいと思います。もう何年も、キリスト教関係以外の本を読んでいません。母にも度々、偏らない様に…。と言われている所です…。

元気が出ましたか! 寺田祐一牧師

2007/12/05 22:48
元気がでましたか!
それはよかった!

Graceさんは勉強家、というより、生き生きとした好奇心をお持ちなのですね。
持っても仕方がないといった冷めた時代、自分に利益になること以外にはほとんど無関心な時代(時代や人の批判ではなく、そういう時代だということ)、とても頼もしいです。

井伏鱒二のこと、調べてくださってありがとうございます。
「山椒魚」は本当に面白い短編ですね。私も好きです、とういか、身につまされます。
一番こころ打たれるのは、やはり「黒い雨」でしょうか。
原爆という、未曾有の大虐殺に遭遇し、どう受け止めてよいかも分からない中、恨みとか怒りという視点ではなく、とにかく黙って背負っていく庶民の姿を描いたものですが、その淡々とした描写が、逆に� ��の悲惨さや恐ろしさ、人間のことには言い尽くせない愚かさと、素晴らしさを浮き彫りにしているようです。

クリスチャン作家としては、特に福音派の中で、アメリカのフィリップ・ヤンシーなどがいます。むしろ評論家というべきかも知れませんが、偽善や欺瞞、律法を、自分ではなく、人に当てはめて正義ぶって疑わないクリスチャンの姿に、かなり鋭い、痛烈な視点を示しています。まあ、一読の価値はありますよ。
ほかに、明確なクリスチャン作家というのではありませんが、「バベットの晩餐会」のカレン・ブリクセンなどもいいですね。

元気が出ました! Grace

2007/12/05 14:20
先生。今日のサイトはとてもハツラツとした印象を受けました。
私も元気がでてきました。ありがとうございます。
昨日の続きですが、私も井伏鱒二の山椒魚を読みました。
おもしろいです。
広辞苑から彼を調べました。以下載せておきます。
井伏鱒二 広辞苑より。「小説家」本名、井伏満寿二。広島県生まれ。早大仏文中退。
随筆風叙述の中に生きた物の滑稽と悲哀がにじみでる作風。
作「山椒魚」「本日休診」「黒い雨」など。釣りの随筆でも知られる。文化勲章(1898〜1993)
(随筆とは見聞、経験、感想などを気の向くままにしるした文章。)

それぞれの12月 寺田祐一牧師

2007/12/05 10:00
この命令を聴くかどうかはそれぞれの自由なのですが、そうしなかった家は滅び(家族単位なところがいいですね)、そうした家は救われて新しい一年が始まると言うのです。
すべては、生活上の9月10月ではなく、神様が命じられる、いわば霊的1月を迎える前の、これもまた「きょう、もし御声を聞くなら、‥‥ 」という、まさしく霊的12月の過ごし方にすべてがかかっているぞ、と言うことでした。
言ってみれば、今年一年、どんなことがあったにしろ、今年はよい年であったと思えるように、最後の12月を過ごせと言うことです。仲直りをし、心配やおそれを捨て(あったとしても)、不安を忘れ、新しい年に備えよということです。神様への(絶対的)信頼、こころの平安、落ち着き、穏やかさを言うの� �すが、回りの現実を考えると難しいことです(なるほど、イエス様を信じる時、私たちに与えられるものですね)。
イスラエルも、無理もないことですが、せっかく神様がお立てになったモーセを信じ切れず、ほとんどあきらめていました(現実を考えると当然。430年も駄目だったのですから)。しかし‥‥  。
しかしそこに、なんと神様からのお声があったのです。わたしの牧場の羊たちよ、「きょう、もし御声を聞くなら、‥‥ 」と。
幸いなことに、イスラエルはそれを聴いたのです!

2000年前、今度はイスラエルではなく、神様は全人類に向かって呼びかけてくださいました!

「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その� ��は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。‥‥万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」 イザヤ9:6

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」マタイ1:23

イエス様のお誕生記念、クリスマスが、年の瀬も迫った12月も最後にあるのも不思議です。

それぞれの12月ですが、必ずよかったという年にしましょう!
神様がそうしてくださいます。

それぞれの12月 寺田祐一牧師

2007/12/05 9:59
この前の日曜日、「それぞれの12月」と題してお話しました。
テーマは、最後の月、12月を、今年1年、なにがあったとしても、よい年だったと思えるように過ごし、新しい1月を向かえようというものでした。

出エジプト記12章には、430年も奴隷として使役されていたエジプトから、いよいよ脱出する前夜の様子が記されています。いわゆる「過ぎ越しの祭り」と言われる、新約時代の聖餐式につながる儀式についてです。
しかし、それ自体がテーマではありませんでしたので、このお祭りについてはいつか触れますが、これを通して、神様がイスラエルに命じられた、もう一つのことに焦点を当ててみました。
それは、エジプトから解放されるその夜、その過ぎ越しの祭りの儀式を行うのですが、脱出 後の新しい暦(こよみ)のことです。ユダヤ暦では第七の月(西暦の9月〜10月)ティシュリー と呼ばれる月でしたが、第一の月ニサンの月(西暦の3月〜4月)にせよと神様がお命じになったことについてです。
この説明暦の自体、もう複雑で私もこんがらかってしまうのですが、簡単に言うと「今日、お前たちがこのエジプトから無事に逃げ出すことが出来たら、それはわたし(神様)によるのだから、それを忘れないために、他の暦がなんであろうと(暑かろうが寒かろうが、その日を1月1日にしろ」とおっしゃったということです。

「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。イスラエルの全会衆に告げて言え。」出エジプト記 12:2〜 3

暦(こよみ)と言う言葉を調べて見ますと、実に奥の深い、そして複雑な世界であることがわかります(興味のある方はエンサイクロペディア[百科事典]をご覧ください。実に面白い!)。
勿論、私の手に負えるところではありませんので解説は出来ませんが、言えることは、どの民族にしても、ひとつではなく、様々な暦を持っていると言うことでしょうか。おそらく、個人的にもあるでしょう(救われた日を、自分自身の人生の新しい年、新しい月の第一日とするような)。
太陽暦、太陰暦、1月〜12月から4月〜3月など、日本人もまた複雑な暦を巧みに操って、うまく使いこなしています。いわば、生活暦と宗教暦とでも言うような使い分けをしているのです。面白いものです。

いよいよ解放の時が来て、神様� ��、430年にも及ぶ苦しくも辛い時期を忘れることなく、しかしそれを単に苦い想い出にするのではなく、すべてはこの時のためにあったように受け止め、よいときであったと覚え、新しい出発、時に備えろ! とおっしゃったのです。

「主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。きょう、もし御声を聞くなら、‥‥ 」  詩篇 95:7

今、わたしがあなたがた命じることを言うとおりにしなさい。それが「過ぎ越しの祭り」という、羊を屠って食べ、その羊の血を自分の家の門柱、鴨居に塗りたくれといった、実に奇妙な儀式なのですが、そうすればお前たちは救われ、すべての過去が清められ、エジプトを脱出することが出来るというのです。

ノニ 東江公人

2007/12/04 15:35
ノニの実は真っ黒に変色し二センチぐらい黒い液体がたまった状態。日当たりにおいてあるのにカビは一切発生していません。ノニの成分の中に腐敗を防ぐ成分が含まれているからでしょうか?

確かにこれを飲むと元気が出そうです。まあ、味は知っていますので、(まずい)何かのジュース割りにして飲もうかと思っています。
今年はやめにして、もう少し熟成?させて来年に飲もうかな。

お恥ずかしい 寺田祐一牧師

2007/12/04 9:43
ふむ、私が三浦綾子さんの小説を好きではないと言ったのは、前にも書きましたが、考えが違うとか、イマイチだというのでもありません。非常に優れたもので、とても素晴らしいものです。遠藤周作も特別好きだと言うわけではないのですが、一応、キリスト教を意識した作家として知られているのであげたまででした。
内容としては三浦綾子さんのほうが、当たり前ですが福音的(信仰が土台となっていること)で好きです。遠藤周作のように、疑いや人間の弱さをねちねちとひねくり回すのはあまり好みません(テーマの追求は真摯なものだとは思っています)。
実は、私の好きな作家は井伏鱒二とという人で、「駅前旅館」とか「本日休診」など、昔映画になったりもして、ちょっと変な作家と思われているかも知れ ない人です。
自分の中にある、たぎるような思いを押し込め、ちゃかしたりからかったり、決して真っ正面からは挑まず、少し滑稽にまとめようとしているのですが、そこに、不思議に人の機微が現れているような感じです。
まあ、よく分からないのですが、三浦綾子さんのように、人のこころをえぐり出すようなところはありません。それはそれで凄いのですが、どちらかというと、私はちょっと、問題の核心は気にしつつも、それを明らかにはせず、回りをうろうろしているのが性に合っているようです。
多分、よいことではないかも知れませんが、臆病な個人主義的性格によるものでしょう。
これはもう治りませんので、このまま生きて行くしかありません。これもまた神様の作品と思って‥‥ 。
ばーんと、大見 得を切ってなさる方がうらやましいです。好みではありませんが‥‥ 。

東江さんは、深い本物の知識人ですが、私は多分(多分 ?)、なんだか知ったかぶりの、表面だけのこけおどし知識人です。まことにお恥ずかしい限りです‥‥ 。

「ぐりとぐら」は今読書中?です。
勿論、1分もあれば見られるのですが、その感想となると‥‥ 、どうもうっかりしたことは言えません。
普段偉そうな、珍しく慎重な寺田牧師です。

うん、ノニはどうしたノニ?

沢山読みました マルタ

2007/12/04 9:06
寺田牧師先生、東江牧師先生。お早うございます。
マルタです。
以前、全て読んだ訳ではありませんが、三浦綾子さんの本読みました。
寺田牧師先生がおっしゃる、あまり好まない…と言うご意見、私とは違う意味だと思いますが、やはり、全て読みたいと思った事はありませんでした。
遠藤周昨さんの本はまだ、読んだ事はありませんが、…。
最近も色々な方の本を読んでいますが、文字を読んでいると言うより、情景がよく見えてそこに居るみたいと感じたり、物事の考え方を教わる事にもなるのだなぁと感じたり、改めて本を読む楽しさを知り始めています。
寺田牧師先生も東江牧師先生も説教準備が常にあるので、幅広い知識等が必要ですね?
それでも、何時も色々、ご存じですごい!と思います� �
私、マルタが何も知らなさ過ぎるのですよね?
何時も大きな事を言い過ぎてるなぁ…。気を付けなくては!

寺田牧師先生、『ぐりとぐら』如何でしたか?。
海水浴編やおきゃくさま編も家にあり、あまり記憶に無いので、改めて開いてみました。
「自分がして欲しいと思う事は人にもしてあげなさい。」を伝えていると受け取りました。
でも、普通大人は、絵本は進んで読めませんよね?。
これからも、神様と寺田牧師先生や東江牧師先生から沢山の事を教わりたいと思います。

最後に東江牧師先生。ノニは、完成しましたか?。体にノニを。心に神様をお迎えしましょう。

手とこころ 寺田祐一牧師

2007/12/04 8:04
お早うございます。

ええ、ぜひそうしましょう。
東江さん。

沖縄と埼玉では随分と距離がありますが、いつかはお会いできるでしょうね。
その時には私が「クッパ」をごちそう致しましょう。

クッパというのは、「汁ご飯」或いは「汁かけご飯」となるのでしょうか。
ご飯の上に汁をかける日本とはちょうど正反対、牛の骨でだしをとった汁(スープ)の中にご飯を入れたものをいうのですが、似て非なるものですね。
寒いということばでも、沖縄と吉川では、いいえ、人によって違う、似て非なるものです。
どうもこの頃、すべての争いと誤解のもとになっているような気がします。
これは、話せば分かるのではなく(むしろ誤解を深め対立を深めてしまうことも‥‥ )、実際の食べて見る� ��体験して見ることが大事かも知れません。
もう21世紀にもなるというのに、人間だけでは、どうもこの隔ての壁を打ち壊すことは難しいようです。
悲しいことです。

だから(というのはひとつの理由としてですが)、聖書のみことばが、唐突のようですが、すべてを打ち破りひとつにする、イエス様の十字架が必要なのですね。
しかも、人としてお生まれくださるという‥‥

私たちの大祭司は(キリスト)、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです(苦しまれた)。  ヘブル4:15

クリスマスは、まさしくその始まりなのでしょう。

今朝の聖書の箇所は、詩篇24篇でした。
23篇を受けて、詩人� �ビデは、次のように高らかに歌い上げます。

24:7 門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王がはいって来られる。
24:8 栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。
24:9 門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王がはいって来られる。
24:10 その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。

しかしその前に、次のような、戒めを歌うのも忘れてはいませんでした。

24:3 だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。
24:4 手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。

ちょうど、Graceさんと東江さんの書き込みにありましたが、確かに、ユダヤ人たちには「手を洗う」、習慣というより、日本の葬儀の後に「清め}の塩をかけるような宗教的儀式を固く守っていました。
手を洗わない者たちを裁きながら(イエス様の弟子たちでしたが)、せっせせっせと執拗に手を洗う人々をご覧になって、イエス様は痛烈な批判を浴びせかけました。

23:27 忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、
23:28 あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。「マタイ」

手だけが一生懸命頑張ってもだめ、いくらこころはあると言ってもだめ、手とこころ、これが一致しているのを「きよい」と言うことでしょう。「きよい」とは、Purity、むしろ純度の高いことを言うのですが、「二心がない」ことを言うのでしょうか。
人を赦すといいながら、腹では裁いている、神様を賛美すます!といいながら、やることはいい加減‥‥ 、まあ、私もその例に漏れないのですが、「それではねー」とイエス様もダビデもそう言っているようです。

5:8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。 マタイ

神様を見るのか、難しそうだけど頑張って見たいなと、今朝、改めて思いました。

今日の午後は、毎週花房さんを先生に絵を描いています。
勿論花房さんはお上手ですが(毎年コンクールで入選します)、私は手慰みのもならないものですが、喜んで下手な絵を描いています。私はお花専門ですが、花房さんは大きいものから小さいものまで、どんなものでもとても上手にお描きになりますよ。今日はクリスマス・カードに使うの絵を描こうと思っています。
ちょっと、こころをきよくして描こうかなー。
始めたころには何人もいらしていたのですが、この頃は花房さんと二人です。
もしお時間のある方、いらして見ませんか。お菓子などをご持参い ただくとうれしいいのですが‥‥ 。
じゃ嫌だ、では何にも持たずにお出でください。
道具もありますよ! 

クッパ 東江公人

2007/12/03 22:39
沖縄もさすがに寒くなってきました。といっても10度以上はあるのですが…

そう言うのは寒いとは言えないでしょうが、沖縄では20度をきると「寒くなったサー」と言うことになります。

うーん。こう言うときは寺田先生!!韓国料理の「クッパ」などが食べたいですね。いつかご一緒に食べましょう。

Re: キリストイエスに捕らえられる‥‥ 東江公人

2007/12/03 21:08
ユダヤ人の手を洗う習慣は聖書のどを読みますと、徹底しているようですね。
元々はそれは宗教的儀式からのものですが、同時にバイ菌が発見される前から主の命令でバイ菌を除去していたことになるのでしょうね。


イスラエル旅行をしたことがあってエルサレムの町を散歩したことがありました。ユダヤ人地区と言うところは非常に清潔でしたが、別の地区はかなり汚いところがあったことを思い出しました。
多くのイスラエル人がバイ菌から知らないで守られてきたのでしょうね。

そう言えば日本人も手を洗う習慣が徹底した民族ですが、 最近その習慣が壊れてきているというニュースを聞いています。



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