面白いBBS - 寺田祐一牧師
2007/12/28 (Fri) 09:45:16
仕事も今日までという方も多いのでしょうか。
近くにある大きな卸売市場も今日までだそうです。
勿論、それどころではない方もいらっしゃるでしょう(私もそうですが)。
しかしもう今年も終わりですね。
このBBSも、今年の2月末から始まったのですから、もう9ヶ月になりました。
最近は、書き込んでくださる方々が限られて少ないのですが、ヒット数は毎日7、80件はあるようです。
確か、19730回ぐらいまで行ったのですが、fc2サーバーの障害で、16950回の時点まで戻ってしまいました(その間の書き込みは失われたそうです)。今の時点で、それからでもすでに17780回となっていますから、すでに830回ほどヒットされています。
加算すると、20560回ぐらいになっていますが(f c2サーバーからカウンター訂正ソフトが届いたら変えます)、よくご覧いただき、投稿していただいたと感謝しています。
元々教会のサイトですから、そんなにご覧いただけるとは考えてはいませんでしたので、むしろ驚いていたのですが、一時、色々とご協力くださる方々によってかなり賑わったのですが、今は落ち着いて、始める前に私がイメージしていたようなかたちになっています。
様々なご批判をも含めて(大変勉強にもなりました)、日本のキリスト教会サイトとしては本当によくご覧いただいているほうしょうか。その分責任も大きい‥‥ 。
今も試行錯誤を重ねながらですが、始めた以上、お応えしていこうとがんばっているところです。
始める前に、これだけはなんとか守ろうと決めていたこ� ��は、見てくださる人がいようといまいと、とにかく続けて行くこと、そのためには毎日何かを書き続けるということでした。
勿論何でも書けばいいというものではなく、中身が問題しょうが、それでも書き続けること、こうした働きには重要だと考えていたからです。
しかし、東江さんなどにも助けられてですが、毎日書くというのは、覚悟はしていましたが本当に大変ですね。自分の正体、本性がさらけ出されてしまいます。いつも読みかして恥ずかしい思いをしています。
ただ、初めから正直に、なるべく本音で書いていこうと考えていましたので、その点で攻撃を受けることもあるのですが、それはそれでいいかなと思っています。
今日も、何を書こうかと考えながら、ついこんなことを書いてしまいました 。
しかし、いつも忘れてはいないのは、何とかして神様の恵みをお伝えしたいと言うことです。
今日の聖書箇所は、詩篇42篇でしたが、有名な詩篇です。
「42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」
現代に限らず、いつの時代も、人は生きている限り、何かに飢え渇いているようです。美しくも切実な表現ですが、鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、でしょうか。
この、霊の渇きをうるおしてくださるおかたこそ、イエス様ですが、このサイトを通して(ひとつの方法に過ぎませんが)、お伝え出来ればということです。
クリスチャンのかたは、ぜひあかしやご意見などをお寄せください。
今後も何とかがんばって続けていくつもりですので、応援、よろしくお願いします。
子ども会準備 - 東江公人
2007/12/27 (Thu) 17:33:02
いつもの子ども会メンバー2名の女の子 ナギサ と メイ。
今は冬休みに入ったので毎日来るらしい。
今日も来て、土曜日の準備を彼らなりにしていった。
放っておくと子ども会の方向がおかしくなりそうなので明日は何をして欲しいかこちらが準備しておく必要が出てきた。
『年末はゆっくりしよう』と勝手に考えていたが、どうもそうはさせてもらえそうにもない。
明日は説教の準備と土曜子ども会の準備をするこども達のための準備をすることになりそうだ。
師走とはよく言ったものだ。もちろんこういう忙しさはうれしいのだけれど…
主の熱心 - 寺田祐一牧師
2007/12/27 (Thu) 19:05:24
子どもは、勿論面白いから来るのですが、単に楽しかったり、ものがもらえたりするから来るのでもないようです。それなら、日本の教会だって子どもで溢れているでしょう。
また、そんな風に集まってみても、ご指摘のとおり、そこに確かなポリシーがなければ、やがて胡散霧消(うさんむしょう)してしまうでしょう。
きっと、子どもたちを惹きつける何かが、名護の教会には、いや、東江さんご夫妻のお働きにはあるのでしょうね。それは、ひとり一人をきちんと見定め、適切に対応して行くというきめの細かさ、そして熱い思い、何よりも、深い愛を子どもたちが感じているからなのでしょう。
ご夫妻の手作りなのですね。
やがてその熱心さが、神様からのものであることを知り、その熱心さ� �ご愛が、子どもたちへも伝わって行くことでしょう。本当によい働きです。
そんな賜物を、神様が黙っておくはずはありませんから、これからますます忙しくなりそうですね!
おからだを大切に‥‥
教えられました。
私も頑張って見ようと思います。
もう来年‥‥ - マルタ
2007/12/27 (Thu) 14:09:04
寺田牧師先生、東江牧師先生、こんにちは。
マルタです。
心待ちにしていたクリスマスも過ぎて、今年も残り数日になりました。
私、マルタは1年が過ぎて行くのが毎年、早いなと感じています。
『あれっ!まだ、新年のご挨拶をしたばかりじゃ…。』と言う感じです。
光陰矢の如し…。(言葉の使い方あっているでしょうか?。)今年も、皆、色々な所を通って来たと思いますが、私、マルタも色々な体験・経験をし、思いを持ちました。
ここ数年、様々な思いが嵐や大波の様に押し寄せてきて、飛ばされたり、流されたりですが、(勝手にそうしているだけかも)そこから色々気付かされ、神様からも沢山教えて頂きました。
マルタ、来年も(は)立っているべき所に立ちたいと願� �ます。
今年、途中からこのBBSの部屋に入れさせて頂きましたが、ここでもまた、色々な考え方や言葉を教わりました。マルタ、ただびっくり!するばかりです。寺田牧師先生、東江牧師先生の文中の一言一言に心に響く、はっ!とさせられるものが沢山ありました。
ずっと以前の出来事の様子や、教会学校の様子も文字が映像となって見えて来る書き方に、マルタもこんな風に書けたらと強く思わされた次第です。それには、もっと見聞を広めないと…ですね?。
それ以前に神様に私の全てが向いていなければ…かな?。
来年も寺田牧師先生、東江牧師先生もお忙しい日々が続くと思いますが、神様が何時も共にいて下さり、力づけて下さいますようにとお祈りしております。
来年もどうぞ宜しくお願い致し� �す。
立派な文章 - 寺田祐一牧師
2007/12/27 (Thu) 18:49:26
マルタさんの文章と知識はとても立派です。
その書き込みにはいつも励まされております。
勿論、勉強や知識、見聞には広げすぎることはありませんから、ぜひかなってください!
きっと、ますます文章にも磨きがかかることでしょう・
来年が楽しみです!
東江さんの文章はとても立派ですが、私はまだまだで、このサイトで今一生懸命練習中といったところです。
おかしなところがあったら、どんどんご指摘ください。
よろしくお願いします。
明日を守りイエス様 - Grace
2007/12/27 (Thu) 08:22:11
明日を守りイエス様。
素敵ですね。
先生方、いつもありがとうございます。
なんだか、私への返信をしてくださり涙が出るほど嬉しく思います。
クリスマスが良い思い出で子供たちに残ることはいいことですね。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
これは、私が毛嫌いした言葉でした。
救われる前、父に、私は救われている。と激怒したことを今涙を流しながら思い出します。
私はかえられました。
イエス様を信じることはすばらしいですね。
時にかなって美しい - 寺田祐一牧師
2007/12/27 (Thu) 18:44:16
時にかなって美しい NEW / 寺田祐一牧師 引用
ええ、喜んでくださるなら、たくさん返信しましょう!
聖書のみことばって、とても不思議で、私たちの勝手や思い通りにはなりません。
ある時には大きな慰めや励ましになりますが、強い反発や怒りすら覚えさせることもあります。
しかしそれは、単に私たちの受け止め方であって、聖書のみことばの価値とは違うようです。
ダイヤモンドは、誰がどう鑑定しようと、誰が持とうと、そのダイヤモンドの価値はなんの関係もないのと同じです。
でもそれは普遍的ですから、いつかは必ず、その驚くべき価値に気付かされる時があるのです。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
このみことばは、どれほど多くの人々に攻撃され、またその通りの みわざを現して来たことでしょうか。
本物の価値が分かるためには、随分と時間がかかるものです。
その間、よくできた偽物にごまかされることが多くあるでしょう。
私もずいぶん惑わされたものですが(今も油断するとすぐにそうなります。危ない危ない)、しかし、その度にみことばの深さと確かさに触れる機会としていただいています。
まさしく「神のなさることは、時にかなって美しい」ことに気付かされるのです。
よかったですね!
振り返りつつ前を見る - 寺田祐一牧師
2007/12/27 (Thu) 08:13:11
今年はまだ終わっていませんが、クリスマスの余韻もあまり残っていないような、お正月が待ち遠しいといったこともなく、ただ毎日があわただしく過ぎて行くといった感じです(私もそうですが、むしろ世相が‥‥ )。
来年というより、もう来週どうするかが気になります。本当に忙しい時代なのだと思います。
ぐずぐずしていなくても、簡単に取り残されてしまいます。
その流れに乗っていくかどうかは、自分の人生ですから、人にとやかく言われる筋合いはなく、自分で選択すればよいのですが、その選択基準をどこに置くのかは、もう一度確認しておくことは無駄ではないかも知れません。365日、切れ目や節目、一段落を許さず先へ先へと駆り立てられる現代、暮れの何日か、新年の初めぐら� ��は、少し立ち止まって思いを巡らせて見るのもいいでしょう。貧乏暇なしや自転車操業とはまったく質の違う忙しさです。
その中で生きているので分かりにくいのですが、分かってはいても逃れるのは難しいのです。
まるでネズミの大行進で、よく見える目は、空気が読めない結果にもなりそうです。
勿論、クリスチャンであろうと例外ではありませんが、教会は例外であるべきかも知れません。
旧約聖書によると、ノアは40年もかけて巨大な船を造りました。
箱船と言われているものです。社会的に考えるなら、まったく無駄なものでした。
結局、大洪水が訪れ、この箱船に乗ったノアの家族と地上の生き物は助かるのですが、その箱船を造り続けている40年間は、人々の嘲笑の的であり、空気 の読めない愚か者家族そのものでした。
その間、ノアはどうだったのか分かりませんが、少なくとも家族は、「お父さん、人がなんて言っているか知っていますか。もう止めましょうよ」と、色々悩んだのではと推測します。本当に難しいところです。
2000年の間、ご存じのように、教会は様々な状況に置かれて来ました。時代をリードし、人々が、こぞってつめかけるということばかりではなかったわけです。
現在でも、教会が焼き払われたり、壊されたりする地域もあります。
日本でも、直接そのような攻撃はありませんが(キリシタン禁制時代は具体的でした)、目に見えない圧力は相当なもので、教会がなかなか繁栄しない姿を見て、こうあるべき、あああるべきという攻撃もまた、教会内外からも後� �絶ちません。
そんな中、どうして行くべきか、悩まないリーダーはいません。うまく出来る牧師も、なかなかうまくいかない牧師もいるでしょう(リーダーは必ずしも牧師だけとは限りませんが)。
しかし、それにもかかわらず、いつの時代、地域においても、流れとは関係なく教会はあったのです(惑わされたことも度々でしたが)。
それをどう守り表現していくのか、ゆっくり振りかえて見る時は必要ですね。
東江さんの教会学校の話題は、その意味においてもタイムリーです。
年末年始は、いつの時代においても、そうした機会としてはふさわしいと思うのですが、いかがでしょうか。
少なくとも聖書はそう言っているのですが、イエス様が私に、いや教会に願っておられることはなんだろうかと ‥‥ 。
教会も、勿論時代の流れからは自由ではありません。
しかし、それに支配されているわけではありません。いや、されたはいけない‥‥
むしろ、滔々と流れる人の歴史の傍らにあって、それに惑わされず、じっと見続けて行く役割があります。カトリックとは(ローマ・カトリックではない)、パーマネント、まさしくそうした普遍を意味する名称だったのです。
少なくとも、時代に適応出来ない、空気がよく読めない私にとっては、唯一身を避けることの出来る場所あり、そこで生きて行くことの出来るところです。でなければ、どこへ行けばよいのでしょう。
それを子どもたちに伝へ、悩んでいる方々の避けどころであることは確かです。
41:1 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。
今朝の詩篇の1節でした。
キャロリング - エキストラ
2007/12/24 (Mon) 11:44:54
教会ではクリスマス本番真っ只中・・・ですね!
キャロリング・・・以前、自分も参加した事があります。冬の野外ライヴは寒いですが、観客が足を止めて人だかりが出来ると、結構いい気分になって盛り上がりますよね。
独りで楽器を抱えての路上ライヴの勇気はありませんが、仲間と街角で・・・これは予想以上に熱くなりました。
柄にもなく一瞬懐かしい想いに耽ってしまった・・・
Re: キャロリング - 寺田祐一牧師
2007/12/25 (Tue) 16:44:47
昨日、教会のクリスマスのプログラムはすべて終えて、今日は少し静かなクリスマスを過ごしています。
今、今年最後の、絵の時間が終わったところです。
エキストラさんも、ただのエキストラではなく、教会へいらしていたんですね。
昨日はどちらかにいらっしゃいましたか。
またぜひ、キャロリングをなさってみてください。
よいクリスマスを‥‥ 。
Re: キャロリング - エキストラ
2007/12/26 (Wed) 10:55:40
懐かしいと言えば、学生時代にあまり意味も考えずに仲間に誘われて、クリスマスに教会へ。
ただし、楽器を抱えてあちこちキャロリング・・・学生だからギャラも掛からない、美味しい手作りケーキを頂戴して結構満足してました。
未だに、放浪の音鳴らしをしてるのは、そこが起源なのかな・・・。
所で、先日遂にそちらの友人に「エキストラ」がバレてしまい・・・久しぶりの電話で「エキストラさんのお宅でしょうか?」・・・一瞬沈黙!・・・続いて爆笑!
素性がバレルと何だか照れくさい・・・書き込み辛いと思う折も折に、年明けから関西方面での仕事が決まり、長期遠征する事になりました。
冷やかし半分に首を突っ込み、お邪魔しました。
・・・というか、牧師さんたちを冷やかし� ��・・・天罰降らないか・・・不安を抱きつつ・・・旅支度。
牧師さん、皆さん、よい年をお迎えください!
おあいこ様 - 寺田祐一牧師
2007/12/27 (Thu) 07:54:04
ああ、さすらいのイカス寅さんですね。
これほど背景と個性がむんむんしていれば、ご存じの方なら分からないほうがおかしいでしょう。
勿論、私はまったく分かりませんが、この年になってはもう無理ですが、私の理想とする生き方ですよ。
多分、本当は宣教師のほうが向いているのかも知れません。
ところで、エキストラさんがなさるという演奏は何ですか?
くち三味線?(ああ、大変失礼しました)
私もまた十分楽しませていただきましたので、おあいこ様ですよ。
よいお年を。
日本の伝道 - 寺田祐一牧師
2007/12/26 (Wed) 08:19:43
お早うございます。
今日もあたり一面の霜が降りて、大分寒い冬の朝となりました。
冬ですね!
東江さんの教会学校のお話は大変興味深いものです。
今、日本の教会で、この教会学校に困っていない教会はないでしょう。
何でも例外はあるでしょうが、残念ながら、教会学校が縮小されたり閉鎖されてしうところも多いのです。
そんな中、東江さんの働きは貴重です。
私たちの教会も、それなりに頑張っていると思うのですが、なかなか思うようには子どもたちも来てはくれません。
勿論、理由も様々でしょうが、東江さんの言うとおり、ちらしや看板などでは、子どもたちは来ません。
仮に来たとしても、親からすぐにストップがかかってしまい(今の時代、この気持 ちも分からないではありません)、子どもひとりでは来られません。親が連れてくれば別ですが、日曜日にわざわざそうする親はいないようです。
また、新しい子どもが来ても、別に意地悪しているわけでもないのに、最初のうちはどうしてもその中に入りにくいものです。勿論大人が色々と配慮をするのですが、その大人、或いは先生がいなくなると難しいのです。
クリスチャン・ホームの子どもたちでさえ馴染むのには相当時間がかかるものです。
新しい子どもが来て、教会に定着するには、そこにどうしても親しく出来る友だちが不可欠です。
つまり、今来ている子どもたちが友だちを連れてきて、すぐに一緒に教会で遊べないと難しいようです。
これは多分大人も同じで、日本における伝道の基本なのだ と、私は思っています。
大人にしろ子どもにしろ、キリスト教用語で言えば、「個人伝道」といったところでしょう。
子どもの場合、もう一つの点は、すでにクリスチャンである親に連れられて来るのが一番多いのですが、親がなかなか子どもを連れて来られない、信仰を伝えられないという点もあるようです。
日本では、切支丹禁制が解かれてすでに150年にもなるのですが、未だに一代目のクリスチャンの方々がほとんどなのです。せっかくの信仰が、残念ながら継承されず、ご自分一代で終わってしまうのですね。
日本のクリスチャンはだらしがないと、ひと言で片付けてしまうことは簡単ですが、これにも様々な背景があって、一概には言えず、時間のかかることだと思っています。
ただ、� ��書のみことば「主イエスを信じなさい。そうすればあなたとあなたの家族が救われます」とあるとおり、信仰は家族単位のものであり、親が子どもに伝えて行くべきものですから、如何に難しくても、これを忘れないでいることが、日本では大事です。
つい、難しさから「子どもには子どもの考え、人生があるのだから」と、いいわけをしてしまうことも多いからです。現実を見て、無理は出来ないと、今は私も分かりますが、こころの痛みをなくしてはいけません。
また、クリスチャン・ホームで、子どもたちを教会へ連れて来るとき、親通しの関係が非常に大事になって来ます。親通しの関係が悪いと、子ども通しの関係も、子どもたちの意志に関係なく悪くなります。日本の教会は人数が少ないので、ほんのちょっと� �たことが、実に大きな影響力を持ってしまいます。
「互いに愛し合いなさい」というヨハネのことばは、実に意味深いものだと、足りない牧師としては、しみじみ思わされているところです。
基本的に、日本では、子どもが子どもを、そして大人も自分の知り合いを、「個人伝道」によって連れて来る以外に方法はないと考えています。
大きな、派手な、特別な方法、集会は、否定するのではありませんが、残念ながら効果はなかったのです。
東江さんのおっしゃる通りだと思います。
来年は、もう一度腰を据えて、この問題に取り組み、祈って行きたいと考えています。
そのためにこそ、今私は、いいえ、日本の教会、そして教会学校もあるのでしょう。
Re: 日本の伝道 - 東江公人
2007/12/26 (Wed) 14:12:31
こども達は時間の観念がまだ確立していないので時間通りには来ません。子ども会に来て良かった場合、そのことが他のこどもに伝えられて後で来る場合も多くあります。
と言うことで1回の集会で、完結というやり方は我が教会では、まだできそうにもありません。
基本は、聖書の紙芝居を聞くとお菓子のプレゼントがもらえる。という基本的なルールを守れば、ある程度は大目に見ることにしています。
今回のゲームは間違い探しゲームをしました。2枚の絵の間違いを探すゲームです。かなり難しく作りましたが、人に教えてもらわないでひとりでやると言うルールにしました。もちろんやめれば賞品はありません。そのため賞品はたいしたものではない物にしています。
ゲームは、大変な方が達成感 があって面白いのです。
今のところ断念した子はいません。むろん小さすぎてできない子はやらせませんが…小学1年の子もやり遂げました。子どもの能力は侮れません。
賞品はゼリー1個とたいしたものではありません。
子ども会の基本は、自分の意志で選ぶと言うことを強調しています。子どもであっても自分で選ぶと言うことはとても大切なことだと思っているからです。昨日、『紙芝居は聞きたくないから帰る』という子がいました。
その男の子が今日またやって来て紙芝居を聞いて帰ってゆきました。もちろんプレゼントを獲得して…
ちょっと大げさに言えば教会の訓練。基本的な決めごとは子どもだからといい加減にしないでおこうと思っています。
心映え - 寺田祐一牧師
2007/12/26 (Wed) 22:20:16
きちんとした観察とポリシー、実に見上げた心映えです!
本当に名護ではがんばってこられたのですね!
きっと、その働きは無駄に終わることはないでしょう。
不思議は教会の専売特許ですが、無から有を生み出してくださる神様は、必ずお応えくださいます。
ビジネスから見れば、先の見込みのない日本のキリスト教会ですが、原資は、この不思議な神様です。
なんだか、来年もがんばりたくなりました。
ところで、「ちょっと大げさに言えば教会の訓練。基本的な決めごとは子どもだからといい加減にしないでおこうと思っています」は、むしろ大人のクリスチャンにこそ必要かも知れません、 かな。
Re: 日本の伝道 - 東江公人
2007/12/26 (Wed) 22:24:48
一番難しいのが、大人なのかもしれません。
自分なりの生き方が確立してしまっていますから。
聖書の言葉で自分自身を変えてゆくことが最も大変な事業のように思います。
こどもクリスマス - 東江公人
2007/12/25 (Tue) 17:44:03
25日にこどもクリスマスをしました。
会は単純。ゲームをして紙芝居をしてプレゼントをあげてお仕舞い。
ゲームは聖書の記事を絵にしたものの間違い探しゲームです。7つの間違いがあり、全部見つけたらゼーリー1個がもらえるというゲームです。
商品はショボイものでしたが、ゲームとなるとこども達は俄然張り切ります。12名ほどのこどもが挑戦しましたが、全員やり通しました。かなり真剣でした。学校もいわゆるお勉強ではなくゲームのような勉強をすればいいのかなー?
その後で、クリスマスの紙芝居を聞いた子達はお菓子の詰め合わせをもらって意気揚々と引き上げてゆきました。
こども達の心の中に、教会の楽しいクリスマスの思い出が残るようにと願う一時でした。
こころに残るクリスマス - 寺田祐一牧師
2007/12/25 (Tue) 18:04:52
なるほど、東江さんのところでは、イブ礼拝を行わず、25日に、子ども中心に行われるのですね。
やはり目に浮かぶようです。
昨夜盛り上がったのも、やっぱりyouthのメンバーが考えてくれたオリジナルクイズが中心だったのです。
聖書に関すること、地元(吉川)に関すること、子ども、一般と、とても楽しく計画されていました。
おみやげは、私たちの教会では毎年持ち寄りのプレゼント交換をしますので(500円ぐらいのもの)、もう少しよいかも知れませんが、これもまた子ども中心になりますね。
名護における東江さんの、子どもたちを中心とした教会形成が伺えて勉強になります。
きっと、子どもたちのこころに残るクリスマスだったでしょう。
大切なことです� ��!
Re: こどもクリスマス - 東江公人
2007/12/25 (Tue) 18:35:12
今、名護の教会にとってこども達はとても大切な位置を占めています。
基本的にはこちらから宣伝は行っていません。ですからこども用のチラシはあまり作ったことはありません。看板はさすがに作らないとなーと思っているところです。こども掲示板と言う板を教会の玄関のピロティーニ置いてあってそれで連絡をしているぐらいです。
こども達が楽しい良いと思って友人を連れてくるようです。友達の輪と言ったところでしょうか。
まだまだ、試行錯誤の状況でどうなることやら…
Re: こどもクリスマス - 東江公人
2007/12/25 (Tue) 18:53:09
こどもがこどもの友を連れてくる方法はなかなか有効ではないかと思っています。
チラシなどで案内をする場合、お互い仲の悪い子達もやって来ます。そして子ども会の中で対立がはじまり雰囲気が悪くなり会が魅力を失ってきます。「お互いに愛し愛し合いなさい」と言う状況にはまだまだならないのですから、最初から友人が友人を連れて来るという方法はいいのじゃないかと思っているのです。
他のこども達に来て貰いたいときは時間帯などをずらすようにしています。また小学生上級の子達は男の子と女の子は対立的な関係にありますので、別々に子ども会を持つように…などと色々気を遣ってはいるのです。
姉のともだち - Grace
2007/12/25 (Tue) 16:34:48
おはようございます。
今日はクリスマス。昨日は、すばらしい日を教会で過ごすことができました。
夜は少し、心が弾んでか、あまり眠れませんでした。
またその夜はこの御ことばに励まされました。
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいますマタイ28」
話は変わり、今朝も、私の姉の友達にあいました。
ひとつ上ですが、亡き姉を忍んで、この間、私は不在ですが、うちに線香をあげにきてました。
その方は小さいときからピアノが上手な方で、電車の中で、家族の話などしていて、また昨日はどう過ごしたのかという話になりました。
私は教会でという話になり、私は、「教会に好きなピアニストかいるけど、ぜひ来て下さって、弾いて下さい。」と伝� ��ましたら「必ず行くよ。約束ね。」と握手をかわしました。
どうか、これを読まれた方、ともに祈ってください。
良いときに彼女がきてくださいますように。
お願いします。
本当に! - 寺田祐一牧師
2007/12/25 (Tue) 17:42:35
本当にそうでしたね!
私も少し興奮してあまりよく寝られませんでした。
私は「 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。マタイ6:34 」というみことばを、改めて思い起こしていましたよ。
明日は どんな日か 私は知らない
晴れか 嵐か 曇りになるか
だけど私は心配しない イエスが私と ともにいるから
明日は 私には わからないけど
明日を守られる イエスがおられる
「あすを守られるイエス様」
以前、うちの教会で歌ったゴスペルですが、不思議に思い出してしまいました。
いにしえの聖徒たちは、きっとこんな思いで福音を携え、歩んで行ったのでしょうね。
お姉さんのお友だち、きっと来てるでしょう。
祈ります!
共に祈りましょう - マルタ
2007/12/25 (Tue) 17:48:13
今日は。
マルタです。
Graceさんの書き込み読ませて頂きました。亡きお姉様のお友達と現在も関わりが続いているのは、良いですね。
そのシーンを想像していたら、とても寒い今日も、暖かな気持ちになりました。神様を信じている者たちは、家族を初め、皆が神様と出会ってもらえたらと願いますよね。
私、マルタも何時もお祈りの中に覚えておきたいと思います。
ぶたのしっぽ - 東江公人
2007/12/25 (Tue) 17:10:16
小学校の4年生の頃。1ヶ月ぐらい入院をしなくてはなりませんでした。大事をとっての入院でしたので体はどこも痛くはなく、毎日退屈な日々でした。
こどもはおらず大人ばかりでした。ある日2才ぐら年下の女の子が入院してきました。それで自然に二人で遊ぶようになりました。
たっぷりある時間を遊ぶことで紛らわせたといっていいかもしれません。
その中で、たぶん彼女が考え出したのでしょう。「豚のしっぽ」と言う遊びがありました。 それは単純なゲームです。色々と一方が質問をするのですが、片方は「豚のしっぽ」と必ず答えなければならないゲームでした。
例えば…
「あなたの好きな物は?」 「豚のしっぽ。」
「へーそんなのが好きなんだ。」
「じゃあ、ポケ ットに入っている物は何?」 「豚のしっぽ」
と言った、たわいのないゲームでした。ずっと前のことなのですが不思議と覚えているのです。
じつは、最近それを思い出しすことがありました。
私たちの教会では、クリスマス祝会の時にめいめいが、1品を持ち寄って愛餐会の時を持ちます。僕と家内は「おでん」を作るために買い物に出かけました。その時に豚のしっぽが売られていたのです。
沖縄では、おでんには豚足(てびち)はよく入れます。でもさすがに豚のしっぽは珍しいのです。
それで少しおもしろ半分に豚のしっぽおでんを作ろうと僕が、提案をしたのです。
愛餐会の時、皆が豚のしっぽおでんを食べているのを見ながら、昔の豚のしっぽゲームを思い出しながら「にやり」としながら楽 しい食事会の時を持ったのでした。
そう言えば、クリスチャンと言う呼び名もアンテオケと言う教会でいつもイエスさまのお弟子達が、「イエスさま、イエスさま」と言うので周りの人に「あの人達はキリストさんだ」と言われ、自分たちの方でもクリスチャンと言うようになったようです。
豚のしっぽを思い出しながら、私たちもいつもイエス様と叫びつつ歩んでゆく者に…と思った時でした。
沖縄のおでん - 寺田祐一牧師
2007/12/25 (Tue) 17:24:32
ふーん、豚のしっぽか‥‥ 。
どんな味がするのでしょう。
一度食べて見たい気もします。
でも、何だか楽しそうな雰囲気が伝わって来る愛餐会風景です。
沖縄でもおでんはあるんですか。
中にはなにが入っているんだろう‥‥ 。
ゴーヤとか‥‥ 。
来年はやはり、ぜひ調査に行って見なければ‥‥ 、などと考えている食いしん坊の牧師でした。
ただよう恵みのかおり - 寺田祐一牧師
2007/12/25 (Tue) 08:05:07
「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと」